森山至貴さん

前回記事「『嫁』『ご主人』と呼ばれる違和感。いま、配偶者の呼び方意識が変わっている?」(

)では普段なにげなく使っている“配偶者の呼び方”について考えました。

 

引き続き、社会学者の森山至貴さんに、日常生活にひそむ差別意識についてお話を聞きます。

クレヨンや色鉛筆から「はだいろ」が消えた

── 少し前に「はだいろ」は、差別という指摘から色の名前として使われなくなったとニュースになりました。その背景は理解できるのですが、聞き慣れない「ペールオレンジ」や「うすだいだい」と呼ぶことに違和感も感じます…。

 

森山さん:

世の中がよい方向に変わっていく小さな一つひとつに、うまくついていけないという感情があると思います。私自身もたまに感じてしまうことがあるのですが、そういうときには「10年後、20年後、30年後に、どういう選択をしてきた人間として自分を振り返りたいか」を考えるようにしています。

 

30年後には「はだいろ」という言葉を誰も使っていないかもしれません。「はだいろ」という言葉がいま議論されていると知った上で、自分はそのまま使い続けるのか、差別的と感じてやめるのか。どちらの選択をした自分を後で振り返ったときに好きでいられるか、想像してみてほしいのです。

 

いまではランドセルの色が自由に選べることが当たり前ですが、以前は“男の子=黒、女の子=赤”が常識でした。発売当時は「こんな色のランドセル、誰が買うの?」なんて声もありましたが、それもいま振り返って見れば上の世代の大人たちの思い込みでしたよね。制服のスカートやズボンを選択できるようになったり、男女問わず「○○さん」と呼ぶようになったり、学校も変化しています。

 

── 確かにそうですね。少しずつ世の中が変わっていて、それに自然と慣れている自分に気づきました。

 

森山さん:

それは大事な感覚だと思います。突然、目の前に現れたように見える議論に対しても、ひと呼吸ついて「誰かを傷つける発言はしないようにしよう」とか「私にもできるかも」と冷静に思うことが大切なんです。個人の心がけだけでは大きな問題は解決しないかもしれないけれど、小さな人間関係の中では、心がけや心構えを変えるだけでずっと風通しが良くなることはあると思います。

森山至貴さんの研究室の本棚

── そう考えると、「はだいろ」も急に名前が変わったわけではなく、さまざまな人の心がけがあったからなんですね。

 

森山さん:

その通りです。私たちには突然クレヨンから「はだいろ」が消えたように見えるけど、まず「“はだいろ”って差別的な表現では?」と訴えた人がいて、それが社会的によくないかどうかを検討した文房具メーカーがあり、新しい色の名前を自社製品の発売によって世に問おうとした人がいるわけです。

 

そういう人たちの行動が積み重なってこういう変化が起きたということに少しでも想いを馳せると、いま瞬間的に自分になじむかなじまないかという基準によってではない、もうちょっと良い反応の仕方ができるのかなと思います。

誰かの差別的発言。「私はそう思わない」と言いたいけど…

── 最近ではジェンダーや人種的なことでも多様性が求められていますね。けれども、そういうことに無頓着で、小さなコミュニティの中で差別的な発言をしてしまう人もいます。身近にいるとモヤモヤすることも…。

 

森山さん:

ときに「隠れた悪意」や、「勘違いの善意」は人を傷つけます。身近にとても差別的な発言をした人がいたとして、その人に賛同できないと思うことは正しいと思います。

 

例えばママ友で集まっていて、あるママが誰かの子どもを差別するような発言をしたとします。間違っていると感じたならその場で否定や指摘をしたほうがいいけれど、はっきり言えない場面のほうが多いでしょう。

 

そんなときは何が正解か、その場で決めさせないこともひとつの手です。それとなく同意を求められても、「そっか、あなたはそういうふうに考えているのね」と会話のボールを返してしまう。「あなたの発言は間違いだ」と否定すると角が立つので、「あなたとは違う考えの人もいる」ということをなるべく穏やかに伝えてみてもいいでしょう。

 

人を傷つけるような発言をする人は、心の中で「みんなそう思っているでしょ?」と考えているからこそ、口に出してしまいます。その内容に直接反論できなくても、「その差別をこの場での前提や共通認識にはしない」ということを目標にして頑張ってみるのがいいかもしれません。

森山至貴さん

── 自分や家族が差別的なことを言われたときは、どのように対処したらいいでしょう?


森山さん:

いじめと似ていて、言われた側が「私に原因がある」と思ってしまうケースもあります。でも、これは言われた側が考えるのではなく、言った側がどうするかを考えなければならない問題です。

 

これも先ほどお伝えした「会話のボールを相手に返す」方法がいいと思います。差別的な発言をした人が、その発言の意味を考えてくれないと問題は解決しません。「傷つく方が悪い」と言われてしまうようでは、会話のボールは言われた側の手元にある状態。「私は傷ついたけど、そのことについてはどう思う?」とボールを返して、相手に託しましょう。

 

差別的な発言をした人が「そういう意図じゃなかった」と主張しても、人を傷つけたという事実は変わらないのですから。

いまだ根強い「男らしく、女らしく」の押し付けには

── 私たちの親の世代には、いまだ「男は男らしく、女は女らしく」という考えの人も少なくありません。夫や親がふとしたときに悪意のない差別発言をしていたら、どのように伝えたらいいですか? 

 

森山さん:

そもそも聞く耳を持っていない人にすべて納得してもらうことはできないので、無理に伝えなくてもいいと思います。でも、家庭の外でそれを言ったら明らかに誰かを傷つけるだろう、という場合もありますよね。そういう場合は、少し牽制したほうがいいかもしれません。

 

例えば女性や障害者、在日外国人に対する差別的な発言があったら、「そういうことを言われると私も傷つくのでやめてほしい」とか「あなたにそういう発言をする人でいてほしくない」と伝えてもよいのではないでしょうか。

 

それでもまだ言い続けるようなら、「お父さん(「お母さん」やそれ以外の場合もあるでしょうが)はそういう人なんだね…」と呆れ顔でひと言を(笑)。多少気まずくなっても伝える価値はあると思います。

森山至貴さん

── 仕事場でもプライベートでも、上の世代を見ていると、差別意識への理解を深めることは難しいだろうなぁと感じることがあります。一方、若い世代には、30代後半の自分の世代とは異なる新しい価値観を感じます。

 

森山さん:

個人的には、差別について30代や40代の層は確かにけっこう気にしているのではないかと思っています。本人の倫理観ゆえに気をつけているのか、世の中的に気をつけなければいけないということで表面の言動だけを気にしているのかは人それぞれでしょうが…。上の世代の人たちのグレーどころか真っ黒な発言にちょっとハラハラしながらそれをフォローして、下の世代のケアもする。中間管理職的な立ち位置にいるのかもしれません。 

 

差別的な問題が存在することにも気づいているし、それがよくないと思っているけれど、親世代がうっかり言ってしまう気持ちもわからなくない。だからこそ世の中の変化にちゃんと向き合い、悩む人が多いのではないでしょうか。これが希望的観測でないことを祈ります。

 

 

SNSのような個人の発信が増えたことで、意見のぶつかり合いを目にすることも多くなりました。世の中がこれだけ変化している中で、自分が違うと思うことにはNOと言える勇気も、今後必要になっていくのだと思います。

 

Profile 森山至貴さん

森山至貴さん
1982年生まれ。社会学者。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教、早稲田大学文学学術院専任講師を経て、現在、同准教授。専門は、社会学、クィア・スタディーズ。著書に『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)など。

取材・文/大野麻里 撮影/中野亜沙美