大林素子さん
鶴ヶ城をバックにトーチを掲げる大林さん(プライバシー配慮のため一部修正)

東京オリンピック・バラリンピックまで約2か月。新型コロナウイルスのまん延が止まらず、聖火リレーや大会の開催にも反対する声が強くなるなか、3度の五輪出場経験があるエースアタッカーが胸の内を明かしてくれた。

「現在の感染状況だったら辞退も…」

「今の状況だったら、辞退したかもしれません。私が参加したのは、2か月近く前でしたから……」

 

そう話すのは、東京五輪の聖火リレー2日目(3月26日)に、福島県会津若松市を走り、聖火をつないだ大林素子さん。

 

大林さんと言えば、ソウル(1988)、バルセロナ(’92)、アトランタ(’96)と3大会連続でバレーボール日本代表として五輪に出場。近年は、舞台やバラエティ番組にも出演している。

 

「3月下旬はまだ聖火リレーが始まったばかりで、現地の感染状況も今ほど深刻ではありませんでした。

 

会津若松を盛り上げよう、コロナを克服したオリンピックにしよう、東日本大震災の復興五輪になるようにしよう、という前向きな思いを込めて参加させてもらいました」

 

聖火リレーは長野冬季五輪(’98)に続いて2回目の大林さんだが、当初から辞退者も出ているなか、さまざまな葛藤があった。

 SNSには反対の声も…

「私のSNSには“この時期に不謹慎だ”という意見もいただきました。

 

ただ、聖火が希望の光になることを願い、医療従事者からの話も聞き、外出や外食を控えて体調を整え、検査も受けて万全の状態で臨みました。

 

実際、市民からは“走ってくれてありがとう”“生きていてよかった”という声をたくさん聞くことができたので、参加してよかったなと思っています」

 「トーチキス」で点火した瞬間

大林さんは通常より重い水素トーチを持って走ったが、その重さは、現地の期待も込められていたように感じたそう。

 

そもそも、東京出身の大林さんがなぜ、会津若松市の聖火ランナーを務めたかというと……。

 

「私はいわゆる“歴女”で、出身の東京・多摩地区は幕末の新選組と縁が深いのですが、なかでも土方歳三(ひじかたとしぞう)が大好きです。

 

それが高じて、彼らが活躍した鶴ヶ城がある会津若松市に何度も通っていました。

 

会津若松の観光大使や大学の講師を務めることになり、3年前から部屋を借りて東京との2地域居住をするように。そのご縁で、聖火ランナーに任命されました。

 

だから、スポーツの起源とも言われる戦(いくさ)が激しく行われた鶴ヶ城内を、五輪の行事で走ることができたのは、感慨深い経験となりましたね」

現在、会津若松には移動できない 

しかし、そんな第二の故郷もコロナの感染拡大が続き、「まん延防止等重点措置」の適用も検討されていた。

 

「こういう状況なので1か月以上、会津若松には帰れていません。

 

もし今だったら、聖火リレーが果たして不要不急の外出なのかという疑問や、私自身の移動や滞在なども考えると、不参加はあり得たと思います」

 

7月まで続く予定の聖火リレーだが、自治体ごとに対応はまちまちで、辞退者も減らないことから大林さんはこんな提言もする。

 

「ここまで感染が拡大するなかでは、聖火リレーを全国くまなくするべきなのか、という疑問も当然だと思います。

 

もちろん聖火を灯(とも)し、引き継いでいかなくてはならない歴史と伝統は大切なことです。

 

聖火リレーのために、あらゆる準備をしてきた人たちの意思も無視することはできません」

大林さんが使ったトーチとウェアは会津若松に展示された

大林さんにとって初めての五輪だった、ソウル大会の開会式で見た聖火は、今でも忘れることができないという。

 

「緊急事態宣言下の今、式典だけにしてリレーは行わないなど、都道府県によって対応が変わってきています。

 

その地域ごとの判断よりも、国や組織委員会が科学的な数字に基づいた、明確なルールを作って欲しかったと思います」

東京五輪開催には賛成? 反対? 

特に最近では五輪中止のデモも行われるようになり、開催すべきでないという重圧が出場選手にまで向けられている。

 

「五輪を断行しようとする都や国、委員会と選手が同一視される傾向になってきたことが、何より悔しく残念です。

 

批判の矛先が選手に向けられるのはあってはならないこと。選手は出場予定の大会に向けて頑張るしか選択肢はないのですから」

 

大林さん自身は五輪開催の可否についてこう考えているという。

 

「どの立場かによって考えは違ってきます。オリンピアンの立場から言わせてもらえば、無観客でもいいから、とにかく五輪は開催してほしいと思います。

 

アスリートにとって五輪は特別です。そのために何年も前から準備して、すべてをかけてトレーニングをしてきています」

舞台女優としては複雑…

役者やキャスターの視点になると違った見方もできるという大林さん。

 

「舞台女優としての立場だと、複雑な気持ちです。近々、私は舞台の出演が控えていますが、コロナが始まってからエンターテインメント業界の打撃は非常に大きいです。

 

例えば、五輪開催は絶対に必要なものとして国が断言して、五輪開催のために全面的な協力を国民に要請。

 

だから、すべての職種も五輪のために…と振り切る覚悟をしてもらい、エンタメ業界も我慢してくれ、というのであれば違う道筋もあるのではと思います。

 

しかし、そのあたりを曖昧(あいまい)にしながら、エンタメは不要不急だとして事実上、規制することには疑問があります。

 

エンタメで生活している人たちにとって、五輪はそこまで必要なイベントだとは限らないわけで、舞台公演がなくなれば、私も無収入になります」

故・蜷川幸雄さん演出の舞台『たいこどんどん』にも出演

スポーツキャスターとしては次のように考えているという。

 

「検査体制や外出規制があるので、選手たちのリスクはかなり少ないのではないかと思います。

 

ただ、問題は審判やボランティアや報道陣です。たとえ無観客にしても、選手だけでは大会は成り立ちません。

 

国内だけではなく、外国から来る多くの関係者をうまくコントロールできるのか、という視点は必要だと思います。

 

そして何よりも依然として医療体制がひっ迫し、医療従事者が忙殺されるなか、五輪に医師を派遣することが妥当なのか。

 

クリアすべき課題は、まだまだ多いと感じています」

 

元五輪選手で、エンタメ業界にも身を置く大林さんならではの多様な意見だが、あなたはどう考える?

 

PROFILE 大林素子さん

1967年、東京生まれ。女子バレーで五輪3大会連続出場。趣味はタップダンス、レース観戦なども。小型船舶4級免許、けんだま8級などの資格も所有。5月26日から舞台『風を切れ2020』が控えている。