Prime Videoにて配信中のクッキング・リアリティ番組『ベイクオフ・ジャパン』シーズン1にて、審査員を務めているパン職人の石川芳美さん。ベイカーたちをジャッジする立場で番組に参加するなかで、自身がジャッジされた思い出を振り返ることもあったようです。
「それはパン作りではない」が飛躍のきっかけに
── 石川さん自身にも、コンテストなどを含めてこれまでの人生でジャッジされる経験があったかと思います。今でも心に残っている言葉などはありますか?
石川さん:
たくさんあります。フランスに来たのが20年前。日本で10年間パン作りを経験してからこちらに来たので、パンに関してはある程度わかった気でいました。事実、パン教室もある程度成功していたので、気持ち的には「腕試しに来てやる!」くらいのちょっと傲慢な私がいたんです(笑)。
でも、当時働いていたパン屋さんのオーナーシェフに、私のパン作りについて「それはパン作りではない、パンは目と手と心で作るものだ」とジェスチャーで言われて。フランス語の理解もそこまでなかったので、「ふんふんふん」みたいな感じで話を聞きながらも、シェフが何を言おうとしているのか考えました。
正直最初は、「10年パンを作ってきた私に何を言ってるんだろう」とかなり悩みました。
でも、あるとき私のパンの技術は、形から入っていたんだと気づいたんです。日本で教えてもらってきた技術は、外国の文化を学んだ日本人から受け継いだもの。つまり形から入っていて、体に入り込んだものではなかった。
それを理解した頃から、私の作るパンは変わりました。フランスで作るパンではなく、フランスのパンになったんです。
どんな粉を使ってもフランスのパンを作れるようになったのはあのときのシェフの言葉のおかげ。あの言葉がなければ、フランスのパンが作れず、今の私はいなかったと思っています。
想像していなかったパン職人というキャリア
── 石川さんがパン職人になったきっかけを教えてください。
石川さん:
3歳の頃から音楽をやっていて、26歳まで、音楽教室で先生をやっていました。若い頃は音楽の道以外はまったく考えていなかったから、今、このようにパンなしでは生きられない生活をしている自分は想像していませんでした。
最初の結婚でお漬物屋さんの家に嫁ぎました。今から30年ほど前は、結婚したら家庭に入るのが当たり前のような時代で、私も例に漏れず家庭に入りました。
お漬物のことを知らずして家業は継げないと思い、まずは発酵を勉強しようと思い立って。いろいろ調べているときにパン教室のお知らせを見つけて、なんか発酵している感じがして、足を踏み入れました。
そうやって音楽からパンの道にシフトしたのがちょうど25歳の頃。やり始めるとハマっちゃうタイプなので、そこからどんどん追求していくことになるわけです(笑)。
「お母さんがキラキラ輝くにはどうすべき?」に奔走
── パン作りにハマった結果、自身のパン教室をスタートさせ、さらにサークルを立ち上げていらっしゃいますが、もともと運営に興味があったのでしょうか?
石川さん:
パン教室を卒業してからは、自分のパン教室を開いたり、パンの販売もはじめて地元・広島ではけっこう話題になりました。教室の脇に子どもたちが遊べるスペースを作って、子ども連れが来られるパン教室から始めました。
1コマからスタートした教室だったけれど、広島のありとあらゆるママたちにパン作りを教えたと言い切れるくらい、コマ数も増えていきました。気づけば、スタッフは20人くらいになっていました。
多くの女性が結婚したら家庭に入る時代だった頃に、キャリアを続けている一人の女性と出会い、「お母さんが子育てでボロボロになるのではなく、キラキラと輝いて生きるにはどうすべきなのだろう」みたいなことを語り合ったんです。
そこで思いついたのが、パン教室の地盤を活用したサークルの立ち上げです。サークルの目的は、ママの輝きたいという潜在意識を引き出すこと。メイクアップアーティストやカラーコーディネートのトップの方を呼び、メイクやパーソナルカラーを学んだり、バリスタにおいしいコーヒーの淹れ方を教えてもらうなど、癒やしの時間をつくるようにしました。
会費を集めて運営していたので、すでに小さい会社のような形はできていましたね。
── インターネットやSNSがない時代には、かなりのバイタリティーも必要だったのではないでしょうか。
石川さん:
バイタリティーと言えれば、カッコいいけれど、私の場合は、台風の目という感じ。私が動いて何かをやると、みんなが私の渦に巻き込まれていくようなイメージです(笑)。
今のように便利ではなかったけれど、すごく楽しかったです。雑誌編集の経験があるスタッフがいたので、紙で会報も作って、活躍している女性のインタビューを載せたりしていました。
経営者になりたいと考え始めた20代後半
石川さん:
経営者としての私の才能を見抜いてくれた方との出会いは、とても大きかったです。素質を持っているから目指すべきと言われ、「私、向いているんだ」と思ったのが20代後半。
実業家になりたいというビジョンを具体的に持ち始めたのもその頃だったはずです。とはいえ、経営の勉強もなにもしたことがなかったので、そこからまた1年勉強が始まりました。
── 夜中の1時から始まる電話レッスンを受けていたのですよね?
石川さん:
よくご存じで(笑)。子どももいたので、その時間からじゃないと勉強できなくて。1年学んだ後に、自分のやりたいことを事業計画にして発表しました。その頃には「なりたい」だけでなく、実業家としてどうありたいか、という明確な目標ができていました。
── 子育てと同時進行でパン教室と経営の勉強、なかなかのハードスケジュールです。
石川さん:
私の母も働いていて、自分で稼いだお金で送り迎えや家事はプロにお任せして、仕事ができる環境をつくっていました。そのDNAは引き継いでいるのかもしれません。私の子育ては、愛情はもちろん注いでいるけれど、実務の部分は正直、あまりやっていません。
掃除も洗濯もご飯を作るのも才能。でも、私はその才能を持ち合わせていないし、そこを両立するための頭が回らないタイプなので、得意分野でしっかり稼いで、実務はプロの方にお任せしてきました。それよりも新しい企画を考えることに集中したかったというのもあります。
かなりわがままに生きてきましたが、がんばった結果、きちんと子どもたちにも理解してもらえる環境にもなり、今ではかけがえのない子どもたちとはいい親子関係を築けています。
[番組情報]
『ベイクオフ・ジャパン』シーズン1
Prime Videoにて独占配信中
取材・文/タナカシノブ