自分で産んだ子はみんな、かわいいはずなのに、なぜか上の子だけ素直に愛せない。
ケースは様々ですが、デリケートな問題のため、誰に相談すればいいのか、どう解決したらいいのか分からず長年悩みを抱えている母親は少なくありません。
恵泉女学園大学学長であり、家族や親子関係を中心とした発達心理学を専門とする、大日向雅美さんに、わが子を平等に愛せない親の苦悩について、お話を伺いました。
「上の子かわいくない症候群」という言葉は危険
── 数年前から、「上の子かわいくない症候群」という言葉がSNSなどネットを中心に言われるようになりました。
大日向さん:
「…症候群」と名前を付けることは、問題に光を当て、周りの人や社会に気づいてもらえるという利点はあります。無意識にモヤモヤしているよりも、言語化することで解決の一歩にはなりますね。
ただ一方で、それは大変危険な面もあります。
「これは…症候群だ」などと物事を単純化してしまうからです。背景にある人間の複雑な感情や人々の長い営みの中で培ってきたものへの視点をさらっと消し去る怖さがありますね。
わが子への偏った愛情は、上の子や下の子、男の子や女の子、さまざまです。型にはめて決めつけると、この問題の背景にある普遍的な問題への認識を失って、解決が遠のくことが心配です。
── 第二子を産んで、ホルモンバランスを崩したり、子どもが増えたことで時間的制約や身体的疲労が重なってうつっぽくなってしまうことが原因とも言われますが。
大日向さん:
第一子でも、ホルモンバランスを崩すことはありますし、夫が育児に協力してくれないとか思い描いていた子育てと現実がかけ離れている等が原因となって、ストレスを抱え一人目でもかわいく思えない人はいます。なので、原因や理由はそれぞれ。ただ、第二子出産後に生じる親子間の変化は確かに存在します。
── どういったことでしょうか。
大日向さん:
第二子が生まれると、上の子はそれまで独占していた両親の愛情が、生まれてきたきょうだいのほうに向かってしまう、自分への愛情が奪われてしまうことへの不安や恐怖を感じます。”赤ちゃん返り”とも言われますが、駄々をこねたり、今までできていたことが急にできなくなったりすることがあって、なかなか扱いが難しくなりますね。
また、生まれたての小さな赤ちゃんに比べると、上の子は明らかに大きな存在に見えて、親は、実年齢よりも何歳も年長に感じてしまうことがあります。
例えば、実際は3歳なのに、6歳くらいの存在に見えてしまう。
ですから、まだ3歳程度のことしかできなくて当然なのに、6歳くらいのことができると期待してしまうんです。そして「なんでこんなこともできないの」などと思って、責めてしまいがちです。
さらに赤ちゃん返りをして駄々をこねているだけなのに、親の言うことに反抗しているように見えたり、性格が悪くなったように感じてしまうことも。いずれも親の錯覚と思いこみなのですが。
今も昔も繰り返される人間の深い業(ごう)
── わが子なのに、きょうだい間で感情に差が出てしまうのはなぜなんでしょうか。
大日向さん:
残念ながら、親はわが子を公平に愛せるとは限らない、ということが大前提です。
出生順や性別を問わず、親になればわが子はすべて平等に愛せるはずだ、というのは、そうありたいと思いますが、実際は幻想に近いと言ってもよいかもしれません。
ここ数年、そういった悩みをお母さん方から聞くことが増えましたが、歴史を振り返れば、いつの時代も存在していること。映画や小説のなかでも扱われることの多い人間の深い業(ごう)、普遍的なテーマのひとつです。
例えば、夏目漱石の『坊ちゃん』という小説では、親は兄を溺愛し、弟(坊ちゃん)にはつらくあたったという一節がありますね。昔からきょうだい間で差をつける親はいましたが、それでも以前は社会的にさほど問題視されてはいなかったのではないでしょうか。
「産めば聖母マリアになる」という神話の問題性
── ではなぜ、最近になって、取りざたされるようになったのでしょうか。
大日向さん:
1970年代、コインロッカーに乳児を遺棄するという事件が多発しました。望まない妊娠や育児不安・ストレスを抱えて、育児放棄に追い込まれてしまうことから生じた事件も少なくありませんでした。でも、当時の社会は、母親の抱えている過酷な現実に着目するよりも、“鬼のような母親”だと母親だけを一方的にバッシングしたんです。
1990年代に入り、少子化問題検証の一環として、児童虐待相談対応件数の統計が取られるようになりました。統計開始時の1990年度は約1100件、2019年度は約19万件。児童虐待相談対応件数の急増ぶりは深刻です。
母親たちも「わが子をかわいく思えない」などと育児のつらさを訴えるようになったのです。
社会全体もお母さんたちに何が起きているのか?一見楽しそうに見えるけれど、心の中には嵐が吹いているんじゃないかと、母親の心のうちに注目しはじめました。
育児はできて当たり前、子どもを産めば女性はみんな、聖母マリアのようにわが子を分け隔てなく愛することが当然という、現実から大きく乖離した神話の問題性を見つめて、そこからようやく抜け出そうという状況に至っているのではないかと思います。
誰にでも起こりうること 親のタイプは関係ない
── 子どもを愛せないと感じたとき、親は自分に問題があるのではないかと考えてしまいます。自身が親に愛されてこなかったから、自己肯定感が低いから、そもそも親になるべきじゃなかったのか…など。わが子を愛せない親に傾向などはありますか?
大日向さん:
親のタイプに関わらず、誰にでも起こりうることだと思います。
慣れない子育てやさまざまな要因でストレスを抱えた親が、追い詰められてそういう感情になってしまう。私たちの人としての弱さでもあると思います。
程度の強弱はありますし、状況も環境もさまざま。今回は「母親」ということですが、父親にだって起こりえます。
生まれてすぐに感情の変化が起きる場合もあれば、数年して急に感情が変わることもあります。
また、残念なことですが、親と子、そもそもの相性もあります。
わが子をかわいく思えないという心情は、歴史的に繰り返されてきているものなので、母親は自分だけを責める必要はありませんし、責めてはいけないと思います。もっと視野を広くもつことですね。そして、大所高所から原因を探すことが大切かと思います。
ただ、忘れてはならないこと、それは子どもは絶対的な弱者だということです。子どもはどんなに悲しい思いをしているかと考えたいと思います。
上の子だから、相性が悪いから、かわいくないわと決めつけてしまうことは、子どもの悲しさ・つらさに目を閉じてしまうことになりかねません。親から疎んじられることは子どもにとって生きていけないほどの恐怖かもしれないのです。
このことを心にしっかり留めて、自分はどう向き合っていくか、私たちは常に考える姿勢を忘れないようにしたいと思います。
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次回は、この問題に親はどう対応したらいいのか、解決への糸口を伺います。
大日向雅美(おおひなた・まさみ)さん
取材・文/笠原美律 写真提供(大日向さん)/アートスタジオ スズキ