新型コロナウイルスの蔓延による営業時間の短縮で、打撃を受けている飲食店業界。その窮状ぶりをテレビでたびたび訴える女性店主を見た人も多いのでは?サラリーマンの街・新橋で“ユカちゃん”と親しまれる人気者に話を聞くと意外な過去も…。
まだ“命令書”は届いていない
「あの“紙”はまだうちの店には届いていないんですよ。たくさんの人から問い合わせが来ましたが、どうしてですかね…」
そう笑うのは、東京・新橋などで焼きとん店やホルモン店など4店舗を経営する「やきとん ユカちゃん 麻布藤嶋 新橋店」の藤嶋由香さん(45)。
ユカさんが言う「紙」とは、東京都が3月に、営業時間の短縮要請に応じていない飲食店に出した措置命令書のこと。
誰もがユカさんの店に命令が下ると思ったのは、彼女がこれまでさまざまなメディアの取材に応じて、都や国のコロナ対策を批判。時短要請に一部、応じてこなかったから。
「1年前の緊急事態宣言が発出されて時短営業になってから、売り上げは激減。90%は落ち込みました」
と肩を落とすユカさん。結局は実現しなかったが当時、問題になっていた自粛警察に対抗して、新橋の店同士で自粛破りを行う「新橋一揆」をテレビで宣言。反響を呼んだ。
「みんなの生活を守るために、という思いだけです。みんなというのは家族や従業員だけではなく、取引業者や生産者も含まれます。
飲食店は協力金などが支給されますが、私たちが取り引きしている業者さんにそういうものありませんから」
その後も営業のかたわら、飲食店の窮状を訴え続け、夏ころには戻った客足も、再び鈍化。2回目の緊急事態宣言が出て、いよいよ死活問題になっている。
自腹を切って従業員を守ってきたのに…
今年の2月には国会議員の招きで国会を傍聴。ネット番組では、国の対応を痛烈に批判した。
そんな言動を快く思わない人たちもいるようで…。
「営業中の店を見て警察に通報されたり、嫌がらせの電話を受けたりすることはしょっちゅうです。コロナ禍で不満を持つ人たちのはけ口になってしまっているのかな…」
会社の預金200万円近くと自らの預金100万円を切り崩して、従業員の給料などにも充ててきたユカさん。
最近では、その従業員も他店に引き抜かれるなど不運にも見舞われている。
それでも何とか持ち応えているのは熱い思いと、昨年11月に新橋の別の場所にオープンさせた「ホルモンユカちゃん」の売り上げがあるから。
コロナ禍で新しい店舗を開くとは、なかなか勇気のいることだと思うが…。
「新橋にもう一店舗開きたいと思っていたところに、コロナ禍でテナントが空いて、チャンスだと思い挑戦してみました。ただし、感染予防対策に万全を期すために、高機能のダクトを設置するなど300万円の費用をかけました」
ユカさんの主張に熱がこもる。
「従業員のPCR検査も定期的に行っています。常連客優先で、酔客はお断りするなどの対策をとり遅い時間まで営業しています。
国や自治体は、このような予防対策に補助金を出すべきで、対策がされている店舗に限り営業を許可する方針にすべきだと私は考えています」
大型店から個人店まで、売り上げにかかわらず支給される一律の協力金は、不公平だと言われているが、自らの行動、経営でそれに異を唱えている。
そんなユカさんの原動力はどこから来ているのか──その生い立ちから迫ってみた。
学生時代に芸能界へ。モデル、歌手として活動
「北海道の室蘭出身で、複雑な家庭に育ったこともあって、自分の居場所を探すために東京に出てきました」
当時、神奈川県の短大に通っていたユカさんに、思わぬ転機が訪れた。
芸能プロダクションにスカウトされ、モデルとしての活動を始めたのだ。
「確か山一証券の広告だったと思いますが、そのオーディションに大勢のなかから選ばれてしまい、事務所はモデルとして随分プッシュしてくれました。所ジョージさんと飯島直子さんがMCの番組にもレギュラーで出演していたこともあります」
そのころには短大も卒業していたが、モデルでは食べていけないと悟ったときに、歌手デビューをすることに。
「今度は歌手のオーディションに合格して、ジャズシンガーとしてデビューすることになりました。デイビッド・サンボーンという有名なサックス奏者とニューヨークで録音してクラウンからCDデビューしました」
トントン拍子の芸能活動だったように見えるが、
「ポップスのCDも出して歌は好きでしたが、これで一生食べていくことはできないとわかり、手に職を付けようとエステの学校に通い始めました。当時は結婚願望がまったくなくて、自分で頑張っていく気持ちが強かったですね」
とまたも華麗なる転身──。
「運命の出会い」を果たしたが試行錯誤
独立して麻布十番のビルの一角にエステ店を開いたが、しっくりとこなかったそう。
「エステで利益が出る分野と、私の目指していたものが違っていたのと、自分がトップとして店舗を経営していくことは向いていないのではないかと…」
そんなときに、ユカさんの現在の夫が営む居酒屋が麻布十番にオープンしたことが、またも転機に。
「物珍しさで行って、初めて焼きとんを食べるとその味に衝撃を受けました。どんな人が焼いているんだろうと、調理場をのぞくと渋い職人風の男性がいたのでビビビときました!」
半年後には結婚して、豚をさばくようになっていたという。
「夫は寡黙(かもく)な職人気質なので、私がサポートして芸能界でつちかった発信力で焼きとんのおいしさを伝えられれば、これはエステよりもうかるなと決断しました(笑)」
女性だからこその悔しい思いもしてきたという。
経験も実績もない女の話は誰も聞いてくれない!
「エステのときもそうでしたが、特に経験も実績もない女性を世間や銀行はあまり相手にしてくれませんでした。
焼きとんを始めても、同じ内容なのに私より夫が話すと、スムーズだった経験があります。
ただそういうときに必要なのは、情熱と誠意だと思います。自分がどれだけその仕事に打ち込んでいて、一生懸命なのかを示せば、手を差し伸べてくれる人はいます。
これは、どんな仕事をしている女性にも通じることだと思います」
ユカさんの前向きな思いは最近、店舗経営以外にも注がれている。
焼きとんを通じて子どもたちに「食育」を
「実はNPO法人と提携して、焼きとんを通じて東北の子どもたちを支援する活動を進めています。
私たちは、生きている命をいただいて生きているのだ、ということを食育として伝えたいと思っています。
私たちが実際に豚をさばいているところを見学してもらい、食べてもらう形ができれば。
コロナ禍もいつか終わることを信じて、チャレンジし続けたいと思います」
この活動はYouTubeでも発信しているとのことで、これがユカさんにとり、また新たな転機となるかもしれない。
一気に話し終えたユカさんは、いそいそと厨房に入り、その日の朝まで生きていた豚モツの仕込みに取りかかった。