小田賀子さん

静岡県にあるプリザーブドフラワーの専門店「アミティエノリ」で、オーナをつとめる小田賀子(おだのりこ)さん。サクセスフラワーアーティスト、プロポーズプランナーというユニークな肩書きを持ち、個性あふれる独自のスタイルで注目される女性起業家です。女性社長.netが運営する、女性社長が選ぶ女性社長アワードJ300アワード2020」では準大賞を受賞し、注目を浴びました。

 

実は金融会社でトップセールスとして活躍していたこともあるという小田さんが、運命の出会いを経て、プリザーブドフラワー業界に飛び込んだ道のりを紹介します。

花屋だけど花を売ることが仕事じゃない…その真意とは

── ご自身をフラワーアーティストやフローリストではなく、「サクセスフラワーアーティスト」と名乗っていらっしゃいますね。聞き慣れない肩書きですが、どんな思いが込められているのですか?

 

小田さん:

私がオーナーを務める「アミティエノリ」は、ジャンルとしては花屋であり、扱う商材もプリザーブドフラワーなのですが、実は私自身、自分の仕事を「お花を売ることではない」と思っているんです。

 

── お花屋さんだけれど、花を売る仕事ではない…いったいどういうことでしょう?

 

小田さん:

通常、お花屋さんの仕事といえば、花を選び、作品を製作するといったイメージを持たれる方がほとんどだと思います。ですが私の場合、お客様との関わり方がそれとは随分違います。

 

私の仕事は、プリザーブドフラワーを通じて、お客さまが幸せになるお手伝いをすることだと思っていて。その方が目標を達成したり、願いを叶えて成功を手にするにはどんなことが必要で、何を提供すればいいのか。そうした背景をヒアリングして向き合いながら、望む幸せへとエスコートしたいと思っています。その総仕上げとしてプリザーブドフラワーが介在するというのが、私の仕事のスタイルです。

 

それを表現するために、自分が作ったプリザーブドフラワーを「サクセスフラワー」と名付け、「サクセスフラワーアーティスト」という肩書きをつけています。これまで模索を繰り返しながら紆余曲折を経て、数年前からこのスタイルに落ち着きました。

 

プリザーブドフラワー

教員になるはずが…居酒屋のアルバイトで接客業に開眼

── 強い思いがあるのですね。そもそも学生時代は、教員志望だったとか。そこから一転してビジネスの世界に飛び込もうと思ったのはなぜですか?

 

小田さん:

もともと父や叔父が教員で、祖父からも「将来は医者か教員になりなさい」と言われて育ち、私もそれが正解なのかなと思っていたんです。大学で教育学部に進みましたが、居酒屋でのアルバイト経験が私の価値観をガラリと変えました。

 

お客さんへのちょっとした気づかいや思いやり、自分なりの工夫が喜ばれ、店の売上げに繋がっていく。自分の持ち味や個性が活かせることにやりがいと手応えを感じ、接客の仕事をしたいと思うようになったんです。結局、教員になるのをやめ、「お客様第一主義」をうたっていた会社の中から“個性を生かして柔軟に働けそうだな”と感じた消費者金融の会社に就職しました。退職する4年目まで、全国800名の社員の中で営業実績2位をキープし続けて、頑張っていましたね。

 

── 競争の激しい金融系の営業で、入社2年目の女性が全国のトップセールスになるのは並大抵ではないと思います。どんな工夫をされていたのでしょう?

 

小田さん:

私の仕事は、既存の顧客、いわゆる債務者の方に電話をしてお金を借りてもらうことでした。当初は、高金利で大人たちがお金を借りていくことに怖さを感じ、罪悪感にさいなまれたことも…。ですが、必要としている人に貸すわけだから、とにかく心を込めて真摯な姿勢で一人ひとりと向き合おうと決めました。

 

電話の声がいつもと違うと感じたら気づかいのひと言を添えたり、お祝いごとがあった方には“おめでとうございます”と伝えたり。自腹で便箋を買って数百人の顧客に手紙を書いたりもしました。債務者としてではなく、人としてのお付き合いを意識することで、自然とそういうやり方になりました。私にとって営業とは、「雨の日にタオルをそっと差し出す優しさ」だと思っています。

顧客に手紙を書く小田賀子さん
── お客さんとの向き合う姿勢は、昔から一貫されているのですね。自分のやり方を信じ、追及していく姿勢にアグレッシブさも感じます。

 

小田さん:

とはいえ、自分のやり方で成果をあげて社内で表彰されたり、上司から可愛がられたりすることを面白くないと感じる女性の先輩からは睨まれ、いやがらせを受けたこともありました。後輩としての立ち振る舞いにも随分気を使いましたね。

 プリザーブドフラワーとの出会いで感動に突き動かされ、会社を退職

── 安定した会社員生活を手放し、プリザーブドフラワーの世界に飛び込んだきっかけは何だったのでしょう?

 

小田さん:

仕事は楽しかったけれど、とにかくハードで残業も当たり前。この先、結婚して子育てしながら今の働き方を続けて行くのは厳しいだろうなと思っていました。そんな矢先、母の代理で、静岡に初上陸したプリザーブドフラワーの体験教室に出向いたことが、人生を変える転機になりました。

 

本物の花なのにずっと枯れない、生きた花ではないのに美しく柔らかい ── そのインパクトに衝撃を受け、「これを仕事にして静岡で一番になろう!」と瞬間的に思ったんです。これはきっと誰かの役に立つ、ビジネスとして大きな可能性を秘めている!と閃いたというか。その場でスクールに申し込み、その直後に会社を辞めました。

プリザーブドフラワー

── 直感を信じて突き進んでこられた小田さんらしいエピソードですね。昔から花がお好きだったのですか?

 

小田さん:

実は、とりたててそういうわけでもないんです(笑)。よく“キレイな花に囲まれて羨ましい”と言われるのですが、“自分を癒してくれるもの”というよりも、誰かが幸せな気持ちになったり、人の思いを繋げることができるものだと思っていて。花の持つそんな力に魅力を感じていますね。

 

── 確かにお花にはそういう力がありそうです!でも、実際にそれを仕事に結びつけるのは簡単なことではなかったのでは?

 

小田さん:

とにかく必死でした。会社を辞めた後、技術を学びながら自分でもスクールを起ち上げ、ありがたいことに生徒さんを持てるようになりました。でも、それだけでは成長できないと思って。東京や神戸などで一流の先生に師事してスキルアップしながら、プリザーブドフラワーの行商を始めたんです。

 

花を担いで洋菓子店やレストランに飛び込み営業をしたり、百貨店のフロアを回ったり。地道な活動を繰り返すうちに注文が増え、カルチャースクールの講師として呼ばれるようになりました。大手企業からも依頼が来るようになり、「ようやくプリザーブドフラワーの専門家として認められ始めた」という意識が生まれましたね。

 

 

プリザーブドフラワーにビジネスチャンスを感じ、自分の直感を信じて邁進した小田さんの熱意には脱帽しました。次回は念願のショップを立ち上げた当時の状況や苦難に乗り越えてきた経緯を伺います。

取材・文/西尾英子