幼少期から10年にわたり親から虐待を受けた本間ちなみさん。今は2人の子どもを育てるシングルマザーとして生きています。子どもの頃の体験を取材した「ネグレクト、暴力、性的虐待…壮絶な毎日 それでも『明日も生きる』ことを諦めなかった」
(※)に続き、その後と今についてお話を聞きました。
やりたいことを犠牲にした人生
「お前なんか生まれてこなければよかった」「施設から引き取らなければよかった」。本間さんは、小さな頃から母親からこう言われ続けてきました。さらに、虐待が絶えなかった子どもの頃、本間さんが求めた虐待のSOSに身近な大人たちが応えてくれなかったことで、大人への不信感も生まれたと言います。「早く大人になりたかった。強くなるしかなかったんです」。
20歳の時に元同僚だった男性と結婚し、
本間さんは両足と右手が不自由で、顔も4分の1が麻痺しています。これは、10年ほど前、元夫が居眠り運転で起こした交通事故に巻き込まれたことが原因なのだそう。最近ようやく車いすから松葉杖の生活にうつった後は、ヘルパーの手を借り、リハビリに通いながら、一日一日を送っています。
「今は、子どもたちの笑顔を見ることに幸せを感じています。贅沢はできませんが、まわりの子どもたちと変わらない生活ができていると思っています。子どもの頃から遊びややりたいことをずっと我慢してきたから、お金の使い方がわからなくて…。でも、少しでも子どものために貯金したいという思いで精一杯働いて節約して、ここまでたどり着けました」
自分のお墓も買い、もし万が一自分が亡くなっても子どもたちが困らないように準備も整えているといいます。
「人に迷惑をかけるな」実の父の言葉を胸に
「一緒に暮らしたことはないのですが、昔、実の父親から言われた言葉があって…『人に迷惑をかけるような生活だけはするな』って。この言葉はずっと心に残っていて、その教えは子どもの頃から守れているように思います」
そんな実の父親との唯一の思い出とも言える幼い頃の写真を、今も大切に保管しているという本間さん。
「動物園かどこかに行ったんでしょうね。ピンクのワンピースを着て、父親に抱っこされているんです。母と義父と暮らしていた頃は白い下着を着ていた記憶しかないので、今考えると信じられないほどきれいな格好をしていて。その姿で父親に抱っこされている写真は今でも大事なものです」
子どもの頃に「してもらいたかったこと」をわが子に
大切にしているものといえば、子どもたちが学校でもらってきた皆勤賞、またマラソン大会や絵画大会などの賞状も。ほとんど学校に行けなかった本間さんが叶えられなかった分、子どもたちの頑張った証をとても大切にしています。
わが子にどう接すればいいのかわからないときも…
「愛情なく育ってきた人って、親になっても、子どもにどう接すればいいかわからなくなるんです。行政にはそういう人のために家庭児童相談室というところがあって、そこで子育ての悩みなどを相談できるようになっています。私は子どもが学校からもらってきたプリントでそれを知り、電話をしてこう教わりました。『自分がお母さんとお父さんにしてもらいたかったことをすればいい』と。だからつい最近も、皆で誕生日をお祝いしたんですよ」
本間さんと子どもたちは誕生日が近く、3人とも2月末生まれ。今年は子どもたちと一緒に誕生日を祝ったそうです。小学低学年の次男に「君は21時47分に生まれたんだよ」と言うと、「じゃあ、それまで起きていよう!」とはしゃいでいたのだとか。
「私は母の手の温もりを知りません。手作りの料理やお弁当を作ってもらった記憶も、笑いかけてもらった記憶もないんです。でも、私は自分が親にしてほしかったことをしてあげたい。そんな思いで日々、子どもたちに接しています。先日、長男がうれしいことを言ってくれたんです。『お母さんは手足が不自由で、毎日ヘルパーさんが来て大変だから、僕があと2年で高校を卒業したら、働いて月3万円ずつあげるね。そうすればお母さんの病気も治るよ、元気になるよね』って」
本間さんの子どもたちへの思いは、しっかりと伝わっているのでしょう。
子どもが「助けて」と言える社会に
本間さんは今の気持ちについてこう話します。
「私は虐待されて育ってきて、その傷は簡単には癒えないけれど、生きることを楽しまなきゃなって思うんです。ずっと『どうせ私は不幸な子』って思っていたから…笑えるまでに時間はかかったのですが、やっぱりこの世に生まれてきた意味はあると思うんです」
母親に対しては、「親とは思っていない。でも、産んでくれたから今の自分があります」とも。
「ああいう母親にはなりたくないという思いがあったから、今の子どもたちとの生活があります。私は子どものために生きていて、だからこそ、母親としての私は自分の母親を超えることができた。そう思っています」
「自分を褒めて、かわいがって、認めて」医師の言葉に救われた
子どもの頃は「私は生きてちゃいけないんだ」とずっと思っていた本間さん。虐待が止まない中、どんどん追いつめられながらも、ここまで生きてきました。PTSDの治療で医師に「自分をもっと褒めてあげて。かわいがって、認めてあげて」と言われ、救われたそうです。
「やっぱりまわりの目が一番重要だと思います。まわりの大人たちが気づいて、虐待されている子どもが『助けて』と言えるような社会になってほしい。見て見ぬふりじゃなくて、『最近、子どもを見かけない』『子どもの元気がない。学校に行っているかどうか見てほしい』『あの家で大声を出しているのが聞こえる』と気付いたら、通報する。今は通報すれば子どもを救える時代なんです。少しでも気になることがあったら、行動に移してほしいです」
「自分のため」に人生を生きることも大事
今は持病を抱えながらも、2人の子どもたちとの毎日に幸せを感じながら暮らす本間さん。「これからしてみたいこと」について聞いてみました。
「こんなことあまり人前では話せませんが…ずっとウエディングドレスに憧れてきました。元夫と結婚する時に着られたらとも思ったのですが、結局叶わなくて。この歳ですが、自分がどんなふうになるのか見てみたい気持ちもありますね」
どうぞこれからは自分のために生きて欲しい。そう願わずにいられない筆者でした。
児童相談所虐待対応ダイヤル189
取材・文/高梨真紀 撮影/河内 彩