ひうらさとる夫婦
ご夫婦でホッと一息の時間 Photo by igaki photo studio

大人気漫画「ホタルノヒカリ」の原作者・ひうらさとるさんは、現在、兵庫県の北部、城崎温泉で暮らしています。漫画家として「限界まで挑戦した」という30代の働き方や、結婚、出産を経て温泉地への移住に至った経緯、心境の変化などをざっくばらんにお話ししていただきました。

やりたいと思ったときにやりたいことをやればいい!

ひうらさとる
「自分はおせっかいな性格」とニッコリ

── 「自分の経験や解決してきたことを弟たち、妹たちに伝えたいというおせっかいな気持ちがある」とおっしゃっていましたが、自分がおせっかいだなと感じるのはどんなときですか?

 

ひうらさん:

年下のお友達が周りには多いんです。集まると、恋愛問題や婚活の話になるのですが、そういうとき「そんな男はダメだよ!」とか言いがちです。相談を受けるのは嫌いじゃないし、自分が体験したことは伝えたいと思うタイプで、お説教はしないけれど、ダメ出しは結構しちゃいます、頼まれてもいないのに(笑)。

 

── 「ホタルノヒカリ」新シリーズ「ホタルノヒカリ BABY」の構想は、自分で経験したことを伝えたいという話の延長でしょうか。

 

ひうらさん:

私は高齢出産だったので、これは良いトピックになると思い、妊娠したときから日記をつけていました。「ホタルノヒカリ」で子育てをテーマにするという考えはまったくなくて、エッセイにしたいなという気持ちでいました。編集さんから「子育てものとして読みたい」と言われたのをきっかけに「ホタルノヒカリ」の新シリーズとしてやることになりました。ホタルの子育てを描きたい!という気持ちが最初は全然なかったのですが、描いてみたらすごく楽しかったです。

 

── ちなみに、ひうら先生は働き盛りでもある30代は、どんな働き方をしていましたか?

 

ひうらさん:

30代は量的に一番仕事をしていた時期です。4誌くらいで連載していたし、20代から積み上げてきたキャリアで勝負とかではなく「どこまでできるか挑戦したい」という気持ちが強くありました。限界までやってみよう、みたいな感じですね。漫画家としてアシスタントも何人かいて、弱小企業の社長のような感じで、多分、どんな職業の女性にもあると思うのですが、自分の中にオッサンがいるような時期でした。

 

── 具体的にはどんな感じでしたか?

 

ひうらさん:

24時間仕事、みたいな感じでした。原稿が上がったらアシスタント引き連れて「焼肉食べに行くぞー!」という生活で。いっぱい働いていたので、お金もそこそこあるし、何より自分ひとりの時間を精一杯生きるという感覚でした。でも、30代後半になって「ちょっと生活をちゃんとしよう」という気持ちが芽生え出して、いろいろとシフトしていた時期に「ホタルノヒカリ」という作品が生まれました。縁側、庭、猫がいる生活に目が行くようになったタイミングと重なりました。

 

── シフトとは具体的にどのようなことをしたのでしょうか。

 

ひうらさん:

それまで都会の中心部に住んでいたのですが、杉並の外れのほうに住むようになりました。「ホタルノヒカリ」に出てくるあの一軒家は、当時近くに住んでいた友達の家をモデルにしています。そこから東京で結婚して、兵庫県豊岡市への引っ越しを経て今の城崎温泉に移住しました。

 

── 移住は結婚がきっかけですか?

 

ひうらさん:

結婚して子どもが産まれてすぐに震災があって。当時、東京には水やおむつがなくて大変な時期でした。夫の実家のある豊岡市と東京を行ったり来たりする中で、もしかして、こっちに住むほうがいいのかなと思い始めて、引っ越しを決めました。

 

── 徐々にシフトすることができたのですね。

 

ひうらさん:

そうですね。あと、都会生活もやりきったという感覚があって。私は大阪出身で梅田の中心部に住んでいたので、田舎生活の経験がありませんでした。それこそ「ホタルノヒカリ」という作品を描いているのに、ホタルを見たことがない。ホタルは椿山荘で放たれるもの、くらいの感覚でした(笑)。

 

だけど、引っ越した豊岡市では、車で5分ほど走ったら山があって、そこにホタルがたくさんいて。とにかく、いちいち新鮮でした。道を間違った鹿に遭遇するだけでも感動で。不便は不便だけど、それもおもしろいと思えるんです。東京までは5時間くらいかかるけれど、大阪の実家に帰った足で東京に行けば2時間くらいで着きます。2時間の移動だと「ちょっと物足りないな」と思うことがあるくらい、なじんでいます。

 

仕事部屋の様子

 

── コロナ禍での働き方、働く場所への影響も大きいのではないでしょうか。

 

ひうらさん:

取材や打ち合わせはオンラインでできますし、通販も充実していますから。移動には距離を感じるけれど、不便と思うほどではありません。

 

── 温泉地での暮らしの魅力を教えてください。

 

ひうらさん:

町に7つくらい温泉があるのですが、一番近い温泉は歩いて1分ほどです。掃除して、お湯をはってお風呂の準備をしなくても、歩いて1分でしかも1回100円で温泉に入れるから、外湯が浸透しているのも分かります。観光地なので飲食店も充実しているし、地産地消のお店も多いので、いつでもおいしいものが食べられます。

 

── 移住先を観光地にすれば、そういうメリットがあるのですね。

 

ひうらさん:

おすすめです。住んでいる方たちも商売をやっている方たちが多いので、外から入ってくる人に対しての抵抗もあまりないように感じます。多少のことでも「地元のためになる」という気持ちで受け入れてくれるところがありがたいです。最初は別荘地に住んでいたのですが、そちらもおすすめです。町内会とかないので、住みやすいですよ(笑)

 

── 魅力的です!では、最後に。ひうらさんがいうところの“妹たち”にあたる読者に向けてメッセージをお願いします。

 

ひうらさん:

私の経験から30代は一番つらい時期だと思います。結婚、子育て、仕事などターニングポイントがありすぎて、迷ったりすることも多いはずです。でも、今、そしてこれからの時代は、私たちが過ごした30代よりも女性が生きやすいように変わってきていると感じています。今、30代の方は、40代になるまでにも変わっていく世の中を経験すると思います。でもそれは、おそらくより生きやすくなるための変化なので、そういう変化、改革に参画していくことで、すごく中身のある30代が過ごせるはずなので、前向きに楽しんでほしいです。

 

── お話を聞いていると、何事もやり切って次のステップに行っている気がしますが、ひうら先生がやり残したことなどはあるのでしょうか?

 

ひうらさん:

ないですね。子どもが欲しいなら、もっと早めにいろいろとやっておけばよかったかな、と思ったこともありましたが、そう思わなかったということは時期じゃなかったと考えるようにしています。かなりの高齢出産で、幸いにも授かったことは幸運だと思っています。私が言えるのは、そのときにやりたいと思ったことを思いっきりやればいいということ。そうすると、あのときやっておけばよかったと後悔することは少なくなるんじゃないかなと思います。私の経験だけではなく、周りの友達などを見ていても、そう感じることは多いです。

 

PROFILE ひうらさとる / 漫画家

1966年生まれ、大阪府出身、兵庫県在住。1984年なかよしに掲載された「あなたと朝まで」でデビュー。代表作に「月下美人」「プレイガールK」「ホタルノヒカリ」「ヒゲの妊婦(43)」など。現在、Palcyにて「聖ラブサバイバーズ」、BE・LOVEにて「西園寺さんは家事をしない」を連載中。