3月8日は国際女性デー。1975年に国連で定められた“女性の生き方”を考える日です。
たくさんの人の努力と長い歴史を経て、獲得されてきた「女性の権利」。それでも今なお女性の生き方を不自由に感じる場面はなくなりません。私たちは“女性の生き方”をどう考えていけばいいのでしょうか。
「暮らしに前向きな変化を起こす」をテーマにイラストや文章を発信している、描き子さんに寄稿していただきました。
「女性が生きやすい社会」について考えることは「誰もが生きやすい社会」について考えることなのかもしれません。
どこかで家仕事を軽視していない?
保育所の不足や、男女家事分担の不十分。
現代の女性たちを悩ませるこのような問題を「政治の問題」「男性の無理解の問題」だと指摘する意見は多いですし、それも決して間違いではないと思います。
しかし、そもそもの問題として、社会全体で「家の仕事」があまりにも軽視されすぎているのでは、と思うのです。
「家電も進化しているし、外注もできるし、家事なんてラク」
家の仕事はラクなもの、簡単なもの、誰にでもやれること。こうしたイメージが、家事育児を担うことの多い女性の、真の気持ちを見えにくくしています。
また、こうしたイメージによって、男性の家事育児は「情けない」とか「女の尻に敷かれてる」とか「妻を甘やかしている」と評価されてしまうのではないでしょうか。
私の夫は一時期、専業主夫として0歳児のめんどうを見ながら家事をやっていましたが、たくさんの男性(そして一部女性)に「いい身分だな、自分もそんなラクな生き方がしたい」と揶揄されました。笑って受け流しながらも「育児と家事をやるというそれだけのことが、どれほど大変か」と憤っていたものです。
正直に白状すると、私も子どもを生むまで(育児の大変さを事前に勉強していても)「家仕事なんて誰でもできる」イメージを確実に持っていました。
実際に子を持ち世話をしてみると、どんどん荒れていく家を見ながら、そして、つい子どもにイライラしまう自分の小ささにうんざりしながら、自分の思い上がりと無知を恥じました。
「家仕事を軽視している」のは決して男性だけではありません。現代の女性もまた、そのイメージを受け入れがちなのだと身をもって知りました。
外仕事偏重主義からどの仕事も尊いと思える社会へ
このような「外仕事偏重主義」は現在、家の仕事に奔走している人たちの心を日々傷つけ、誇りを奪っているように思えます。
また、現代はこうしたイメージが、女性達の分断を生んでいるとも感じます。働く女性、働かない女性、産む女性、産まない女性。「外仕事は大変で、家仕事はラク」という思い込みが、様々な選択をした女性達の間に見えない優劣の壁を作り出す要因になってはいないでしょうか。
「家の仕事」も、「外の仕事」も、優劣なくどちらも尊いのです。
女性であれ、男性であれ、このどちらをも自分の仕事として自由に選び取り、誇りをもって従事できる社会。
次に目指すべきはそういう形の社会だと私は考えます。女性みんなのため、そして男性達のためにも。
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Profile:描き子(かきこ)さん
文・イラスト/描き子