「石巻のことは嫌いでした。家族や親族とはあまり仲がよくないし、田舎だから世間が狭く、他人には偉そうで。上京したときは、一生、石巻には戻らないと決めていました」

 

そう語るのは、「石巻ウェディング」代表の豊島栄美さん。東日本大震災後、渋々故郷にUターンしてきたオリジナルウェディングのプランナー兼司会者です。

 

現在、「地元での挙式率が1割未満という石巻を変えたい」という思いで活動を続けている豊島さん。嫌いだった故郷に関わって生きる道を彼女に選ばせたのは、再興とともに生まれ変わろうとしている石巻の姿でした。

仕事を失った父、自粛ムードでキャンセル続きの挙式…

2011年3月11日。東日本大震災のあった日、豊島さんが大きな揺れを感じたのは、当時暮らしていた川崎のゲストハウスでした。

 

幸い家族は無事で、震災の数年前に建てた田舎町の家は津波の被害を受けることもありませんでした。ただそれだけに国からの補償は1円もなく、車と父の仕事を失った実家の家計は困窮。豊島さんは、カイロや携帯の充電に必要な乾電池、いくばくかの現金を送り続けました。

 

しかし、そのうち関東でも自粛ムードから結婚式のキャンセルが相次ぎ、豊島さん自身も苦しい状況に。渋々ながら、家族の元へ戻ることになります。

 

「家族や親族と折り合いがあまりよくなかったうえ、田舎ゆえの世間の狭さも嫌いで、石巻には一生戻らないと決めていました。でもあのときは家族を助けるのが当たり前だと思ったし、迷いもまったくありませんでした」

 

Uターン後は、ショッピンクモールの輸入雑貨店で夜も昼もなく働いていたと言います。

 

「田舎のショッピングモールって不思議なんですよ。一歩入れば、そこは都会と変わらない光景。生まれ育った町がどうなったかなんて考えるきっかけもないし、ただお金を稼がなきゃ…とがむしゃらに働いていましたね」

 

実家の暮らしも落ち着きを取り戻した2014年。生まれ育った石巻の旧市街地に赴いたとき、豊島さんはあらためて震災の爪痕を目にします。

 

「私の知っている旧市街地は、どこにもありませんでした。閉じたシャッターが並ぶ商店街、外壁がボロボロにはがれ落ちて鉄骨がむき出しの建物…。そこここで工事の音が鳴り響き、テレビで流れる『復興』が別の世界の出来事に思えました」

 

しかしそんな光景とは裏腹に、豊島さんはどこかでわくわくしていました。

2021年現在の石巻

「その中にも、震災移住者が新しく雑貨屋やカフェを開店したり、老舗の着物店が地域にコミュニティスペースを開いていたり、あちこちに個性的な店が点在していて…。生まれて初めて石巻を面白い町だと感じていたんです」

婚姻数はあるのに…地元挙式1割未満の理由

2021年現在の石巻

再び旧市街地に足を運ぶようになった豊島さんは、ある違和感を抱きます。

 

「震災後に結婚する石巻の友人、知人は、新郎新婦共に石巻出身でも、決まって仙台で挙式をするんです。街で結婚式を見かけることもまったくない。調べると、石巻市に婚姻届を出すカップルは年間600組以上いるのに、半数以上の人たちが結婚式をしないそう。石巻で結婚式を挙げる人は1割未満でした」

 

老舗ホテルでのきらびやかで格式張った結婚式しか選択肢がない石巻。「価格が高い」「気恥ずかしくて自分たちらしくない」と挙式を諦める人が多いことがわかってきました。

 

「おめでた婚も多いのですが、『いつか落ち着いた頃に』と思いつつ、結局は結婚式を挙げないカップルもいると知りました」

 

これらの悩みは解決できる── 。

 

石巻の人たちにも自分が東京で経験したような温かい結婚式を挙げてほしいという思いが、豊島さんの胸にわき上がります。

 

「石巻で新しく出会った同世代の美容師やフローリストは、技術も確かだし、おしゃれで都会の人に負けていない。会場がないなら、山でも海でも広場でもいいじゃないか、って」

 

新たな目標に向けて動き出すうち、豊島さんは結婚したての若いカップルに出会います。

 

「おめでた婚でお金がないし、結婚式は恥ずかしい。でも、最近体調を崩してしまった祖父母に花嫁姿を見せたい」。そう悩むカップルに、豊島さんは「それなら赤ちゃんが生まれる前に式をしよう!」と声をかけました。

 

「ヘアメイクや音響、装飾、料理、カメラなど総勢12人のスタッフを集めてプロジェクトをスタート。3か月たらずで作り上げた2016年の2月の挙式が、石巻ウェディングのスタートになりました」

 

花嫁に声をかける豊島さん

スタッフの一人は、「司会を務める豊島が、ご家族に向けて送るメッセージがとても好きです」と語ります。それは形式ばった挙式ではなく、「周囲に感謝を伝えること」を何より大事にする石巻ウェディングならではの場面。狙った演出ではなく、自然とあふれる豊島さんの温かい言葉に、強面な父親たちが泣き出すことも少なくないそうです。

挙式は移住者の覚悟を見せる場にもなっている

結婚式は、周囲に感謝を伝えるとともに、カップルの決意を見せる場でもある、と豊島さんは言います。

 

「石巻ウェディングで式を挙げるカップルの多くは、石巻を中心に東北に縁のある人たち。東北で生まれ育ち、在住している人もいれば、他県に住む人もいる。なかでも特徴的なのは震災後、移住してきた人たちだと思います」

 

2人とも移住者、または移住して地元の人と出会って結婚するカップルは、移住先で暮らしていくという思いが強く、おのずと、県外から呼んだ自分の家族、そしてその土地の人たちに自分たちの覚悟を伝えるような式になるのだそう。

 

豊島さんが印象的だったと語るのは、2016年、石巻市南三陸町で行った震災移住者カップルの挙式です。

 

ボランティア活動を通して出会い、南三陸町の町おこしに携わっていた新郎と新婦。町のコミュニティスペースである大きな芝生広場を会場に、巨大テントをいくつも設営し、130人が参加する着席型の式を行いました。

「参加者全員が、伝統的な花嫁行列を再現しながら入場。地元の料理屋さんに頼んだ特産品を詰め込んだメニューを楽しんだり、地元の餅米で餅つきをしたりと、地域の人と県外の人が交じり合いながらひとつになる結婚式を目指しました」

コロナ禍で見送られる挙式「未来が見えなくても諦めてほしくない」

「石巻をハワイのような結婚式の町にしたい」── 。そう願う豊島さんですが、古くからの慣習が根強く残る石巻では、批判的な目を向けられることも少なくありません。自治体の協力を得られないこともしばしばです。

 

さらに2020年は新型コロナウイルスの影響で、4月以降の挙式をいったん見送ることに。挙式を中止せざるをえなかったカップルもいました。

 

「でも、未来が見えないなかでも挙式を諦めてほしくない。『結婚式とは大切な人に感謝を伝えるもの』という原点に立ち戻り、2021年には『ツアーウェディング』を始めました」

新しい試みツアーウェディングの一場面

ツアーウェディングとは、自宅でドレスとスーツに着替え、ワゴン車で実家や仕事場など大切な人が待つ場所をめぐる結婚式。感染症対策をしながら、写真を撮り、乾杯をし、感謝の手紙を読み上げる、新しい形のオリジナルウェディングです。

 

個々のカップルが、それぞれにふさわしい結婚式を。石巻で奮闘する豊島さんの願いは、旧来の考え方や災害にくじけず自分らしく生きたいと願う人々を支え、いつか町を変えていくのでしょう。

取材・文/有馬ゆえ 写真提供/石巻ウェディング