ふわり文庫

横浜市都筑区にある団地の一角を改装して、「家庭文庫」を主宰している江幡千代子さん。家庭文庫とは個人が自宅を開放して、自己所有の本を近所の子どもたちに貸し出したり、読み聞かせをしたりする小さな図書室のこと。自治体が運営する図書館とは異なり、プライベートな空間です。

 

現在、江幡さんは家庭文庫の枠を超え、約300冊の本をキャンピングカーに積みこんで、各地で絵本の素晴らしさを子どもたちに伝えています。70代を迎えてなお、いきいきと暮らすヒントを伺いに、ご自宅をたずねました。 

孫の死をきっかけに。自宅の一室で始めた「家庭文庫」

── 緑に囲まれた団地の一室をリノベーションされていて、素敵なご自宅ですね。ここで「家庭文庫」を始められたきっかけを教えてください。

 

江幡さん:

2017年1月に、3歳だった孫・梨紗(りさ)が心臓病で亡くなったことがきっかけです。亡くなったあと、手元に残った絵本をみながら、彼女の生きた証として子どもたちが絵本を自由に読める家庭文庫をつくろうと思いついて。1周忌を前にして自宅の一室で「ふわり文庫」を始めました。「ふわり」という名前は、孫3人の名前の1文字ずつからとっています。

 

私は孫と離れて暮らしていたので、梨紗が亡くなってから「自分にはもっと何かできることがあったんじゃないか」と後悔することも多くあって。だから、私がいま絵本を広める活動をしていることは、孫を喜ばせてあげたいという気持ちの延長なんです。

 

梨紗は絵本が大好きな子でした。手術などで入退院を繰り返す生活だったので、絵本はなくてはならないもの。「頑張れば、きっとまた友達と遊べる」と、どんな薬よりも力を与えてくれていたように思います。

 

大人が子どもを抱きしめながら、たくさん絵本を読んであげる。そのことは、のちに子どもの心や身体を育てる血となり肉となる── それを切実に感じました。

 

ふわり文庫

── そんな想いがあったのですね。たくさんの人に読んでもらえて絵本も喜んでいそうです。「ふわり文庫」はどれくらいのペースで開催されていますか?

 

江幡さん:

月に2回、各5時間の開催です。私が住んでいる団地のポストにお知らせを配布したり、メールでお知らせすると、ご近所の親子連れや私の友人たちが集まります。口コミで来てくださる方もいて、多い日は20名くらい。いまは新型コロナの影響で不定期開催で、予約制にしたり野外で読み聞かせしたりと工夫をしています。

 

ここに来た子どもたちはきまってキョロキョロして、たいてい木のおもちゃで遊び始めます。文庫は貸し出しもできますので、ここでは本を読むだけでなく、おもちゃで遊ぶために来る子もいますね。私の同世代の友人がお孫さんを連れてくることもあって、ときにはお菓子を焼いておもてなししたり、一緒にお茶を飲んだり。そんなひとときも、好きな時間。絵本にまつわる話を心がけ、友人が持ってきてくれた絵本を読み合ったりすることもあります。

質の高い絵本を近所の子どもたちに“お裾分け”したい

── 自宅でこの量の蔵書を抱えられているとは驚きです。いったい何冊あるのでしょう。

 

江幡さん:

所蔵の本は1000冊くらい。以前、別の文庫を主宰されていた方が亡くなった際に140冊ほど譲り受けた本も入っています。でも本の寄付は呼びかけていません。本当にその人が大好きな本をいただくのはうれしいのですが、「不要になったから」という本はいただいていません。もちろん絵本に優劣はありませんが、ここには自分が本当に好きな本だけを集めていきたいと思っています。梨紗の絵本が50冊ほどありましたが、文庫を開いてからけっこう購入もしてコツコツ集めました。

 

家庭文庫のよさは、わが子だけでなくよその子もいて、みんなで本が読めるということ。「面白いね」と共有したり、読み聞かせ中に自分では気づかない気づきがあったり。お母さんやお父さんが自分の子どもだけに読むことも素晴らしいけれど、こういう楽しみも知ってほしいと思います。

 

私のいちばんの目的は、できるだけ質の高い、いい絵本を子どもたちに教えてあげること。図書館と違って一人ひとり子どもの顔が見えるから、交流もしやすいんですよ。1対1という近い関係で、本を読み合いたくて。子どもも、家族も、地域も、すべての関係性がよくなっていく、その芽のような存在になれたらいいなあ、と思います。

江幡千代子さんの絵本蔵書

読書嫌いの子どもでも、きっかけがあれば好きになる

── 長く絵本と関わってきた江幡さんが考える「幼少期に絵本と触れ合うよさ」って何でしょうか?

 

江幡さん:

紙をめくって本を読むというかたちは、デジタルでは得られない体験です。いまは画面で本を読むこともできる時代。でも、実際に本を手にとってパラパラと読んだ記憶のある人にはわかるけれど、初めから画面で育ってしまうとその経験をしないまま育ってしまいます。

 

絵本は絵を読む本。紙の質、手触り、絵の材料、紙面の構成など、紙面の中で読み手に伝えたいことをどう伝えるか、絵を描く人と、文章を書く人と編集者の三つ巴の格闘の結晶です。絵本の読み継がれている名作には、子どもたちへの愛と祈りがあります。元気に育ってね。友達いっぱい作ってね。世界は、自然は、面白さに満ちてるよ── たくさんのメッセージが託されています。

 

お父さんお母さんには、そんな絵本たちを、ぜひ子どもを抱きしめながら読んであげてほしいです。絵本は自分で読める年齢になるまで、大人の手助けが必要ですから。子ども時代のあたたかなその情景は、大人になって、つらいときにきっと助けになると思っています。

絵本を読み聞かせる江幡千代子さん

絵本は大人をも癒やしてくれる

── 読んであげたいと思いつつ、「忙しくてなかなか時間が取れない…」という読者もいそうです。

 

江幡さん:

子どものためと思わずに、自分のためと思ってはどうでしょう。絵本のぬくもりは、親にとっても大人にとっても、疲れを癒やしてくれるものです。一日働いて家事をして疲れて、子どもともいい状態じゃなかったなぁと思う夜こそ、枕元で絵本を読んでほしい。その日あったギクシャクがスッと消え、ほっこりとした気持ちで眠りにつく子どもの寝顔を見る時間は安らぎを与えてくれるはずですから。

 

── 最近では、ゲームをしたり、動画を観たり、子どもたちの遊び方もデジタル化していますよね。「本を読ませたいけど、読んでくれない」というママの意見も耳にします。

 

江幡さん:

ゲームや動画は刺激が強いので、もう一つ別の世界に興味をむかせるというのは相当知恵を働かせないといけませんね。親が絵本の面白さがわかる工夫をする必要がありそうです。「読みなさい」というのではなく、ベッドの横や、トイレの棚など、さりげなく置いておく。自分から好奇心を持たせるのはどうでしょうか?

 

本の好き嫌いには、子どもの個人差もあるかもしれません。家で読むのが苦手なら、図書館や文庫、ブックカフェなどを訪れるのも、ひとつの提案です。外の思いがけないところで絵本に出会うと、興味をもつ子もいますよ。

大人になってから出会っても十分間に合う

── 案外大人になって素敵な絵本に出会うこともありますよね。江幡さんご自身の、絵本との出会いはいつですか?

 

江幡さん:

日本の絵本の歴史は戦後です。私の幼少期は混沌とした時代で、それこそ絵本を読む習慣なんてありませんでした。そんな私が絵本に出会ったのは、新婚まもなくの頃。当時の新婚ならではの意気込みというか、夫と「家でテレビは見ないようにしよう」なんて話していて(笑)。そんなときに立ち寄った本屋さんで見つけたのが、月刊の絵本シリーズ『こどものとも』(福音館書店)でした。当時1冊50円ぐらいだったかしら。

 

こんなに質の高い絵本があるんだって驚いて、絵本に目覚めました。毎月届くのがすごく楽しみで。絵が素晴らしいし、ストーリーに含みがある。大人が読むと、子どもとは違う受け止め方で読めるのも絵本の面白さですよね。

 

 

「ふわり文庫」のような私設の文庫はさまざまな地域にあるそう。自宅の近くの文庫を探してみるのも楽しいかもしれませんね。次回は、絵本を車に積んでブックカフェを開いた江幡さんの、“挑戦を楽しむ“シニアライフについてお聞きします。

 

Profile 江幡千代子さん

江幡千代子さん
横浜市都筑区在住。2000年より横浜市の図書館を応援する活動に参加。2017年より自宅で「ふわり文庫」をスタート。2019年には、8名の仲間とクラウドファンディングを募って「走らせよう!つづきブックカフェ」を実現。市や区のボランティアグループを企画・参加するなど、地域で絵本を広げる活動を続けている。

取材・文/大野麻里 撮影/金子 睦