大阪府豊中市で「SPICE UP」というスパイスやハーブの料理教室を主宰する桑原亮子さん。テレビや雑誌にも取り上げられ、いまや“予約の取れない料理教室”となっています。
一方、私生活では38歳で小、中、高校生の三人のお子さんを育てるママでもあります。
2020年にアトリエを移転拡大、法人化もして順調そうに見えるキャリアですが、最初から料理の道を目指していたわけではありませんでした。「山あり谷ありの人生になるとは思っていなかった」という20代から、新たな道が開けてきた30代。
彼女が出会いに恵まれ、自分の“得意”を生かせる道を開いた軌跡を紐解きます。
出産、セカンドシングル、社会人デビュー…激動の20代
—— 料理を仕事にするきっかけは何だったのでしょう?
桑原さん:
料理教室を始めたのは6年前、32歳のときです。当時携わっていた通訳のボランティアでインド人の女性と出会ったのがきっかけでした。でも実はそれまで、料理なんて完全に趣味の域を出ていなくて。まさか仕事にするなんて思ってもみませんでした。
大学卒業後22歳で結婚・出産をして、専業主婦。でも、なんせ若いしやる気もあるし、育児もいいけど、何かしたいなと思って英語を勉強しはじめたんです。
当時はオンラインレッスンなんてものはないし、テキストを買ってきて覚えたり、イギリスのニュース番組BBCを聴きながらノートに書き写したり。育児と家事の合間に地道に勉強しました。試しに英検を受けたら1級まで受かって。その間、2人目も生まれて。資格でも取ってみようかと、通訳案内士の試験を受けたら合格しました。
—— 小さいお子さんを抱えながら独学で…。学生時代は英語が得意だったり、留学経験があったんですか?
桑原さん:
留学経験なんてないです。英語は嫌いじゃないけど、めっちゃ得意!ってわけでもなく。趣味で始めたことがだんだんとホンキになっていった、という感じ。準1級、1級…とちょっとずつ目標をクリアするのがうれしかったんです。
その後、セカンドシングル(離婚後再び独身になった人)になったこともあって、取得した資格を生かして、26歳で特許事務所に就職しました。通訳や翻訳、英語事務などを担当しましたが、初めての社会人経験だったので、事務作業などできないことや知らなかったことも多くて、最初は落ち込みましたね。
—— がっつりフルタイム勤務ですか?
桑原さん:
はい、がっつり。広島の実家から時折両親がヘルプに来てくれることはありましたが、基本的にひとりで二人を育てていました。当時のことは実はあんまり覚えていないんですよね。社会人経験のないまま子ども二人を抱えて就職して。仕事を覚えるのも必死、子どもたちのごはんを作るのも必死、って感じで。
そしてご縁あって再婚。三人目が産まれて30歳で会社を辞めて、久しぶりの専業主婦生活がやってきたんです。
—— もしかして、また自分のなかのハングリー精神が出てきた?
桑原さん:
家にじっとしていられないタイプなんでしょうね。チビが1歳半くらいのとき、市の通訳ボランティアをはじめました。日本語が話せない駐日外国人の通院に付き添ったり、書類提出の手伝いをしたり。その中のひとりが、料理の道へ進むきっかけとなった、インド人女性です。
「辞めます」が面倒くさくて、スパイス料理研究家に
—— 人生のターニングポイントとなる出会いですね。
桑原さん:
ある日彼女から、「インド料理の料理教室を開きたいから、そのサポートをしてほしい」と依頼があって。料理はもともと好きでしたし、オリジナルカレーをしょっちゅう作っていたので、二つ返事で引き受けました。でも1年くらいで彼女はインドに帰国しちゃったんです。日本の食事や気候が合わないって言って。なので、引き継ぐことにしました。
—— そこで「辞める」という選択肢もありましたよね。
桑原さん:
リピーターの生徒さんもいてくれはったし、「辞めます」ってアナウンスするのも手間だったので続けようかなと。断るのってエネルギーいるじゃないですか。ぼんやりと、このまま続けたらどうなるかなぁとは思ってましたが、何か明確にやりたいことや目標があったわけでもなく…。ただ、私自身がスパイスにハマったというのは確かです。
—— 料理学校に通ったりもしたんですか?
桑原さん:
スパイス料理は、彼女に教わったことがベースにあって、あとは独学です。調理師学校に通ったりフードコーディネイトなどの食の資格を取ったりもしていません。持ってるものといえば、食品管理衛生士くらい。
中学生くらいから料理はしていましたけど、趣味です。専業主婦のときも料理は好きだったので、スパイスからカレーを作ったり、フレンチの料理教本を買ってきて、セルクルで型抜きする前菜を作ったり。アップルパイも生地から手作りして。
今はレッスンや依頼案件のメニュー開発の日々なので、そんな時間ありませんけど(苦笑)。
熱量を持って、ひとつのことを、根気強く。
—— いつ頃から“予約の取れない料理教室”に?
桑原さん:
自分でそういうのは恥ずかしすぎますけど…。口コミで徐々に、かなぁ。2年くらい前にテレビや雑誌で取り上げていただく機会があって。ご予約をお断りしてご迷惑をおかけすることが増えてきて…。
当時借りていた部屋は、6人掛けテーブルが入ってやっとというくらい狭かったし、ここ最近は料理教室以外の仕事も増えてきたので、思い切ってアトリエを引っ越しました(ちょうど取材した2020年12月中旬は、アトリエを移転した直後だった)。
—— 料理教室以外の仕事ってどんなことですか?
桑原さん:
飲食店のメニュー開発やコラボ商品、オリジナル商品の開発などです。
例えば、カステラ専門店「デ カルネロカステ東京店」とコラボしたスパイスカステラ、「ジャルダンアロマティーク」とコラボした、カルダモンやクローブ、オレンジの香り入りのハンドソープにエッセンシャルオイル、コットンと紙でできたエコで丈夫なエプロンなど。
オリジナルブレンドのチャイスパイスももうすぐできます。コンセプトを考えたり、パッケージデザイン考えたり。ちょっと日常を楽しめる衣食住のものが多いです。
最近では、私がセレクトするアンティークや骨董、作家ものの器などのオンラインショップもオープンしました。
—— そういうのってどういうつながりで仕事依頼が来るのでしょうか?学生時代の部活仲間とか?
桑原さん:
部活にもサークルにも入ってなかったです。大勢の人の集まりに自ら参加することもあまりないかも…。
料理教室の生徒さんつながりだったり、食関係の会社の社長さんが生徒さんとしてレッスンに来てくださったことがきっかけになったり、ということが多いですね。
でも、1年半ほど前から参加している故郷・広島の「鷺島みかん島プロジェクト」は、地元の高校の同級生が立ち上げた島おこしです。鷺島で無農薬レモンを栽培する農家さんと、商品企画から販売まで行うというもので。私が大阪で食の活動をしていると耳にして、声をかけてくれました。
—— 人との出会いで仕事の幅を広げていったわけですね。
桑原さん:
自ら広げていったというか…。情熱を持って、ひとつのことを楽しそうにし続けている人に惹かれますね。そういう人って心にゆとりを持っている方が多いんです。そういう方たちとお話をするのが、私の財産になっています。腰を据えて取り組んでいることが、いつの間にか今の展開につながった感じです。
私自身は発信したり、宣伝したりすることは得意じゃないのですが、そういう方々からお声がけいただいてこなしていたら、カタチになっていって…。ありがたいなぁと思います。
・・・
ブレない自分を持ち、面白がる。とことんやってみる。
英語も料理も、趣味だった“好き”を突き詰めていたら仕事になった桑原さん。そして、目の前にある仕事を一生懸命、かつ楽しみながら取り組んできたからこそ、情熱的にものづくりをする人たちとの出会いが生まれ、自分の得意を生かせる道が開けてきたんだなと感じました。
後編は、小、中、高校生のお子さんを持つママとしての側面を探ってみたいと思います!
PROFILE:桑原亮子(くわはら・りょうこ)さん
取材・文/笠原美律 撮影/東郷憲志