思えば育児絵日記を描き始めた頃は、密室育児のなかで誰にも相談できない想いをお焚き上げするような気持ちが大きかったように思います。だから内容も愚痴っぽいものが多かった。

 

しばらくすると「嫌だった出来事やネガティブな気持ちをギャグっぽく描くことで自分を笑わせて満足する」という手法を覚えた。初めての育児はうまくできないことだらけで、心ないひと言をぶつけられることも多く、そういった出来事を笑い飛ばすことができるととても気持ちの良い達成感がありました。その頃が一番気持ち的にもノッていたし、インスタグラムのフォロワー数が激増したのもこの頃。やりきれない想いをだれかと共有したい人ってすごく多いんだと感じました。

 

 

嫌な思いを笑い飛ばして得られるはずの達成感が…

さらにしばらく経つと、突然しんどくなった。「今日なにか嫌なことあったかな」と思い出すところからはじまり、その出来事をイラストや漫画として成立させるために細部まで何度も思い返して推敲するという手順を毎日のように繰り返していたことで、心に負担がかかっていたことに気が付いたのです。

 

最後に明るいオチをつけるにしても、不快だった出来事をわざわざ思い出すことってしんどい。自分で自分を傷つけているようなものです。それを「作品作りだ」と割り切る強さは私にはなく、その頃から私は徹底して「自分が」「馬鹿馬鹿しくて笑える」と感じるものしか描かなくなりました。

ネガティブ感情は“仕事”にしないという誓い

実際、ママ友トラブル的なエピソードや、子連れでの外出中にかけられた心無い一言、などといったテーマを扱ってほしいというようなご依頼を頂いたりすることは多いです。それをスッキリ笑い飛ばす!的な手法は共感性が高いことも理解はできます。

 

でも、それを続けていたら私は、最後には絵を描くことまで嫌いになってしまうんじゃないか。それだけは耐えられないので、ネガティブな気持ちを扱ったお仕事も極力お断りするようになりました。

 

効果はてきめんで、牙を抜かれたように平和ボケした私の脳は以前ほど嫌なこと自体を感じなくなり、捻りの効いたネタも思いつかなくなってしまいましたが、やっぱり心の安定にはかえられないなと感じます。

 

死ぬまで楽しく絵を描くことができますように。

 

 

文・イラスト/横峰沙弥香