「いい夫婦ってなんだろう」をテーマに、さまざまな角度から夫婦のあり方を切り取る今回のオピニオン特集。

 

夫婦でLogista株式会社を立ち上げ、結婚・妊娠・産後・育児期にかけての夫婦のパートナーシップを育む『夫婦会議』の事業を展開している長廣百合子さんと長廣遥さん。自治体や企業とも積極的に協働する活動の原点は、産後にありました。

 

ふたりで思い描いていた「一家団らん」という家庭像に向けて協力し合えない産後の生活に、百合子さんは心身の限界と夫への不信感を募らせます。その後、離婚の危機を迎えたお二人。どう乗り越えていったのか、そこで見えたものは何だったのか、お話をうかがいました。

  

誰の仕事?家事と育児は大切な「家庭の仕事」なのに…

——百合子さんと遥さんは、夫婦や家族の関係性を豊かにするための『夫婦会議』の事業を展開されています。“世帯経営”という考え方や“対話”の技法など、ほかにはない視点が特徴ですが、もともとお二人とも会社勤めで、寝る間を惜しんで仕事をされていたとのこと。そんななかで妊娠されたんですよね?

 

百合子さん:

そうなんです。独身の頃からふたりとも仕事が大好きでした。私は会社員時代は採用や育成の仕事に携わっていたのですが、とにかく楽しくて寝る間も惜しむように働いていました。退職後、個人事業主として仕事をしていたときに夫と出会って結婚して。妊娠がわかったときは夫の誕生日の前日だったのでいい誕生日プレゼントになったなあと思いましたね。

 

遥さん:

僕はその当時、地方創生の仕事をしていて、日付が変わった頃に帰宅するような毎日でした。そんなメチャクチャな働き方をしながらも、子どもができたとわかったときは心底嬉しかった。子どもの頃に両親が離婚し、自身も1回目の結婚が長く続かなかった経験から「一家団らん」を切望していたので、妻との結婚も妊娠も自分にとってご褒美のようでしたね。

 

——百合子さんの妊娠はお二人にとって幸せな出来事だったのですね。妊娠期から出産までに仕事や生活スタイルは変化していきましたか?

 

百合子さん:

望まずとも、何もかも大きく変化しました。妊娠中の私は吐き気や眠気などのつわりがひどくて、臭いにも敏感になりました。体調不良で仕事に穴を開けてしまったときは心底落ち込みましたね。今まで普通にできていたことが徐々にできなくなっていくように感じられて、つねに怒ったりイライラしていて、妊婦生活を楽しもうという気持ちにはなれませんでした。

 

遥さん:

今でも覚えているのですが、出社前に妻に頼まれてペットボトルの水をテーブルに置いておいたら、夜帰宅しても同じところにあって。「一日動けなかった。何も飲めないし食べられない」と聞いて、本当につらいんだなと思いました。

 

百合子さん:

入院すべきレベルだったのかもしれないのですが、渦中にいるとわからないんですね。自分で自分を安全圏へ運ぶことは難しいのだと痛感しています。病院も、病気をもらうのが怖くて産婦人科以外には行きませんでした。

 

体調が安定しない妊娠期を乗り越えてお子さんを出産した百合子さん。遥さんと幸せに包まれた。

 

それでも出産ぎりぎりまで仕事をして、産後半年から少しずつ仕事を再開しました。本格復職は産後13か月たった頃です。

 

もともと睡眠を削って働くようなワーカホリックな生き方をしていたのですが、夜泣き対応で十分に眠れず、フラフラになりながら家事と育児に取り組む日々は想像以上に過酷でした。妊娠期から仕事が再開できるようになるまで、すごく長く感じましたね。ただ、家事と育児に取り組むなかで、やり甲斐や価値も見出していたので、「家事と育児は家庭の仕事。これも自分の仕事なんだ」と捉えていました。外で稼ぐ仕事ができない間は、家の仕事を一生懸命やろうと、自分の心を保っていたところもあったのかもしれませんが…。

 

一方、夫はいつまでもお手伝い感覚。家事や育児を「自分の仕事」と捉えていない様子が言葉や態度の端々から伝わってきました。実際、子どもが生まれても夫の働き方は変わらず、早朝に出社したら深夜に帰宅する日々。「家事育児は誰の仕事?一人じゃできないよ?」という思いもありましたが、それ以上に、こんなに価値のある家事と育児を経験しない人生は損だと思いました。特に赤ちゃん時代のわが子のお世話ができる時間は限られていますから。

 

すれ違う二人の気持ち。肝心の一家団らんは…!?

 ——お子さんの誕生後、遥さんはどんなお気持ちで過ごされていたのでしょうか?

 

遥さん:

子どもが生まれて本当に嬉しくて、「子どものためにも、もっと仕事を頑張らなきゃ」と張り切っていました。だから、家事や育児は当たり前のように妻にまかせていましたね。「家のことは妻の仕事、男の僕は外で稼ぐのが仕事」だと決めつけて、育休の「い」の字も浮かばなかった。会社でも責任が重い立場にいたので、「僕が育休を取れるわけがない」と思い込んでいたんです。

 

そうやって僕自身、特に何かを変えなくても、結婚して子どもが生まれれば「自動的に一家団らんが手に入る」と勘違いしていたのかもしれません。仕事のことで頭をいっぱいにしてしまっていたんですよね。

 

百合子さん:

夫がプロポーズの時に語ってくれた「一家団らんの夢」は、結婚と同時に「わたしたち」の夢に変わりました。でもこの夢は、私ひとりが納得できないまま働き方を変えて、家事や育児に専念し続けたところで実現できるものではない!と夫に理解して欲しかったんですよね。実際、本当に「一家団らん」が夢なら、夫も家庭にコミットできるように働き方を変える必要がありましたし、時間がかかっても、夫は自分の意志で変われると信じてもいました。

 

 

産後うつの症状。子どもが泣くそばで足は自然とベランダに…

——家族を思う気持ちは同じなのに、目指し方がズレてしまっていたのですね。百合子さんは産後、どんな気持ちで過ごされていたのでしょうか。

 

百合子さん:

当時のことは正直よく思い出せなくて。でも、いまでもはっきりと覚えていることがあります。産後23か月の頃、子どもがリビングで泣いていたんです。「抱っこしなきゃ」と頭ではわかっているのに、身体が重くて動かない。足が自然と向かったのはベランダでした。気付いたら、当時住んでいた3階から下をのぞきこんでいたんです。「私いま、何を考えていたんだろう」とゾッとしました。こんなふうに意識がはっきりする瞬間と、うつろになる瞬間とを繰り返しながら命を保っていたんだと思います。産後うつの症状が出ていたのでしょうね…。

 

産後2か月頃までは実母が来てくれて、完璧に家事をこなしてくれたので助かっていたはずなのに、その良妻賢母ぶりがプレッシャーだったときもありました。今の仕事では産婦人科医とよく話すのでわかるのですが、妊娠期から産後までは精神衛生を良好に保つことが大事なんですよね。私の場合、それが悪化していたんです。

 

一日中髪はボサボサ、朝からほとんど動かない。無気力のままに一日を終えていたような日もあります。でも、「余計な心配をかけたくない。自分でどうにかできるかもしれない」と思い、そんな実情を夫には話せませんでした。虐待のニュースも他人事に思えなくて、産後1年を過ぎても恐怖心を抱いていたことを思い出します。誰だって、追い詰められたら加害者になってしまう可能性がある。「普通の精神」を維持するだけで精一杯でした。