外国人の夫・トニーさん、中学生のトニーニョくん(15歳)と3人で暮らす漫画家の小栗左多里さん。

 

夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から、考えたことを語っていただきました。

 

今回のテーマは、「日本とドイツの校則の違い」について。本当に必要な規則ってなんだろう、と改めて考えさせられます。

「人間は違ってて当たり前」その感覚の出発点

息子が小学校3年だった時、女の子が転校してきた。長い髪の毛の先っちょを緑色に染めていた。その後、ピンクとかオレンジとか、いろんな色に変わっていった。同じ校舎の高校の中には、夏休み明けに輝くような水色の髪になって登場する男の子もいたし、ゴシックファッションに合わせて白く色を抜く子も、黒に染める子もいた。でも、先生が髪の毛について注意する事はないようだった。

 

 

それで思い出すのは、トニーが前に、小学校時代の思い出として何気なく私に言ったこと。「ほら、クラスにいろんな髪の毛や目の色の子がいるじゃない?」。「…え?」一瞬考えたけど、いないいない。ほぼ黒。学年で何人か、地毛が茶色い子がいたけれど。

 

初めての「無知の知」に衝撃を受けた

トニーの発言を聞いて私は驚いた。なんというか「自分がわかってなかったこと」が、わかったからだ。ものごころつく前から、周りにいろんな髪、肌、目の色の子がいる——その感覚を想像したことがなかった。彼と日本語で様々なことを話してきて、理解しあえているような気になっていたけど、使っている言葉の意味は同じだろうか?「人間は違ってて当たり前」と言う時、その感覚は私と彼とでずいぶん離れているのではないかと思う。

 

さて息子のクラスを見てみると、やはり髪も肌も、目の色も様々。このような中で育っていれば、髪型を一律に規則で縛るということにはなりづらいだろう。日本では茶色や天然パーマの子が「地毛証明」を出したり、黒に染めなければならない高校もある。「染める」という行為が校則違反なのではなく「黒髪でない」が違反なのだ。なんのために制限して、なにを教えたいのか。もし「金髪の子しか入れない学校」があったら?入りたいなら金に染めるしかなかったら?

 

そこまで極端じゃなくても、ツーブロックやポニーテールが禁止だの、むしろポニーテールにしろだの、その時は耳より低い位置にしろだのと、日本の校則は気が遠くなるほど細かい。ある朝、もし女の子みんながいっせいに耳より高い位置で結んだら…、何が起こるんだろう?

 

一番怖いのは“考えるのをやめること”

日本は先生の仕事量が多く、受け持つ生徒数が多いのも問題だと思う。また海外でも、民族的・宗教的な服装を禁止することが問題になっている。正解が何かを決めるのは難しいけれど、一番怖いのは考えるのをやめることだ。ルールを決めるとラクなのは確か。でもルール自体を考えてみること、そして変えてみる勇気も人間には必要だ。

 

髪の先っちょ緑の女の子がやってきた息子のクラスでは、何か起こったか?何も起こらない。色が伝染してクラス中の頭がカラフルにもならなかった。新しい友達が一人増えただけだ。

 

 

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文・イラスト/小栗左多里