「自分も、母のところに行かなきゃいけないのかな」。母を亡くして半年後、医師から乳がんだと告げられた小栗香織さん。当時、息子さんはまだ9歳でした。がんの全摘手術を決めるまで告知から約3か月、その後の再建にも約1年悩んだといいます。
9歳の息子が「ママ、ここになにかある」と

── バブル絶頂期に人気を席巻し、その後は出版プロデューサーとして今年は浅香唯さんの40周年記念写真集を手掛けられるなど、活躍を続ける小栗さんですが、2016年に突然、乳がんと告げられたそうですね。
小栗さん:まったく信じられませんでした。がんを宣告される半年前に、母を亡くしたばかりだったんです。母は入院したことすらないほど元気だったのに突然、亡くなって…。その半年後に今度は自分ががんだと言われ、「私も死ぬのかな」と思いました。
とにかく、何も信じられない気持ちでいっぱいになりました。痛みもなく、先生が画像で「ここががんです」と教えてくれても、ピンとこないし。これ、本当に私のことを話しているのかなって。しかも、胸の全摘をしたほうがいいと言われて、「胸をとるの?」と。
検査結果を聞くときは姉についてきてもらったのですが、姉はものすごく泣いていました。母の次に妹まで、という気持ちだったようです。私は唖然としながら、「私もママのところに行かなければならないのか」という考えが浮かんでいました。
── 普通の女性でも受け入れがたいことなのに、グラビアの仕事もしていた小栗さんにとっては、なおいっそう体の一部がなくなるというのは、信じられないですよね…。体の変化には、ご自身で気づいていなかったのでしょうか。
小栗さん:具合が悪いとか、胸が痛いとか、そういう症状はまったくなかったんです。最初に気づいたのは、まだ幼かった息子でした。当時9歳で、一緒にお風呂に入っていると、まだ甘えてくるような年頃だったんですよね。私の胸を触って甘えてきたときに、ふと不思議そうな表情で、「ママ、なんかここにあるよ、おかしいね」って。
私は自分ではわからなくて、気のせいかなと思っていたんです。けれどその後、超音波の検査で乳がんが見つかり、すぐに全摘手術を勧められました。当時は、初期症状でも、全摘を勧められることが多かったんです。
── 息子さんがきっかけだったとは。乳がんが見つかって、手術の決断まではどんな心境でしたか。
小栗さん:体に痛みが一切なかったので、「嘘でしょう?」「何かの間違いじゃないか」とどうしても受け入れられなくて。医師から「すぐに全摘手術を」と言われたときは、そこまで考えられない心情でした。
「本当に胸を切るしかないの?」「ほかに残せる方法はないの?」と諦めきれず、セカンドオピニオンもして、いろいろと治療法を調べました。なかなか決断できず、不安で押しつぶされそうな夜を過ごしながら、3か月ほど悩み続けました。
最終的にがん全摘手術を受け入れられたのは、9歳だった息子の存在です。無邪気に笑う息子の姿を見るたびに、「ここで私が死ぬわけにはいかない」「この子が大人になるまでは、絶対に生きてそばにいたい」と決心したんです。「母親として生き抜く」という覚悟を決めた瞬間でした。
息子には、病気のことを見つかった当初から伝えていました。子どもながらにたくさん心配してくれて、入院した頃には「将来、ママのために医者になる」と言ってくれたこともありました。10年経った今は違うみたいですけど(笑)。
お風呂の鏡は、タオルで隠した
── 手術後、ご自身の体を見たときは、どんな気持ちだったのでしょう。
小栗さん:しばらくは直視できませんでした。下を向いて胸の傷は確認できるんです。でも、鏡で真正面から上半身を見るのはつらくって。お風呂の鏡にはタオルをかけて、写らないようにしました。
私の場合は、抗がん剤や放射線による治療はなく、ホルモン療法の薬を5年間飲みました。飲んでいる間は、手がむくむ感じや、太りやすくなったことなど、体の変化も感じましたね。
── ただ、治療を続けながら、仕事には復帰されたそうですね。
小栗さん:術後すぐは仕事をセーブしていましたが、1か月もしないうちに復帰し、数か月後には写真集の撮影で沖縄ロケにも行っていました。家で療養して、病気や将来のことをずっと考えているよりも、仕事に集中するほうが、私にはよかったんです。
── 何かに集中していないと、不安に苛まれてしまうのですよね。ただ、乳房の再建は、全摘と同時には行わなかったそうですね。
小栗さん:先生には、同時に手術することを勧められました。でも当時は、がんを取ることだけにまず集中したかったんです。手術がどうなるかもわからないのに、胸をつくることまでは考えられなくて。「少し考えてからにします」と伝えました。
その後、乳がん専門店でブラジャーやパットを調べたりしました。1年ほど悩んだ後に再建を決めたのは、暮らしのなかで不便を感じたことも大きかったです。
── 具体的にはどのような?
小栗さん:いちばん不便だったのは車の運転です。シートベルトが傷のあたりに当たって痛くて。傷との摩擦をなくすため、車にあった息子のぬいぐるみをとっさに胸とシートベルトの間に挟んで対処していました。
タオルを挟んでみたり、パッドやヌーブラみたいなものを使って工夫したこともあるんですが、不便だったので、再建しようという決断に至りました。
── 再建後、暮らしや気持ちは変わりましたか?
小栗さん:服や下着をつけるとき、胸の形があることで、生活がしやすくなりました。今では再建してよかったと思います。ただ、9年ほどたった今も、何かが入っている感じはあります。寒いときや低気圧が来たときに、傷のあたりがズキズキすることも。
再建後は一般的なワイヤーのブラジャーがつけられないことですね。「ノンワイヤーのブラジャーにしてくださいね」と医師から言われているので、選択肢は狭まります。硬いワイヤーが手術跡を圧迫・刺激して痛みや皮膚トラブルを引き起こしたり、再建した胸の組織や人工物(インプラントなど)の定着・形状に悪影響を与えたりするので、ワイヤー入りのブラジャーは避けるべきなのだそうなんです。
当然、再建をしない方もいらっしゃいますし、その人の生活や考え方によると思うんです。私も1年間悩んだので、再建するかどうかは、いろいろ聞いたり調べたりして、自分で納得して、自分に合った状況を選ぶことが大事だと感じています。昨年から、乳がん患者の不安や心配を少しでもやわらげることができたらと、自分の経験を活かして乳がんのボランティア活動もしています。
「今年も大丈夫だったよ」と息子に報告できる喜び

── お母さんとの別れやご自身の病気を経て、日常の捉え方は変わりましたか。
小栗さん:いつ何が起きてもおかしくないんだと、実感しました。手術をして退院しても、毎年の検査のたびに不安はあって。それが10年間続いたんです。
もしがんが再発したら、私も母のように急死してしまったら、まだ幼い息子はどうなるんだろう。そんな心配で胸がいっぱいになることもありました。だから、手術から1年経つごとに、「今年も大丈夫だったよ」と息子に検査結果を報告することは、喜びでもあり、安心でもあり…。今もこうして生きることができて、子どもの成長を見守ってこれたことは、人生で大きな出来事でした。
── 検査のたびに襲ってくる不安や恐怖と、当時はどのように向き合い、心を保っていらしたのですか?
小栗さん:病気になったときはもちろん落ち込みましたし、術後の不安や痛みも苦しかったです。でも、つらい日々のなかで気づいたのは、起きてしまったことはどうしようもないってことなんですよね。「病気も含めて、自分なんだ」と、次第に受け入れるようになったんです。
落ち込みそうなときは、自分だけで抱え込まずに、周りの人や医師に打ち明けて、感情を外に出すことで軽くしていました。
── 病気を乗り越え、50代を迎えました。今後の人生のプランはありますか?
小栗さん:子どもが小さい頃は「1週間のロケです」「地方に行きます」というお話をいただいても、お断りすることがありました。今は子どもも大きくなりましたし、今年の6月で手術から10年が経って、治療も卒業したんです。子育てと治療という2つの大きな出来事がひと区切りしたので、機会があれば、また映画にも出てみたいですね。歌手活動でも、もっと曲をリリースしたり、ライブをしたりしたいですね。
17歳でデビューした頃の気持ちが、今も意外と残っているんですよ。今の年齢になっても、年だなとはあまり思わないですね。がん治療を卒業したこともあり、人生まだまだこれからが楽しみです!
取材・文:イワイユウ 写真:小栗香織