小1の娘が電車で寝過ごして、見知らぬ場所へ

居村仙紅
講師業を手伝ってくれた当時7歳の娘さんと

── 娘さんが6、7歳になると、ご自身が開くセミナーも手伝ってもらっていたそうですね。

 

居村さん:娘には受付をやってもらっていました。「1人3000円のセミナーで、10人なら3万円」と数えられるくらいの年齢になっていたので、参加費を受け取ったり、参加者に名前を書いてもらったりしていました。小学1年生のころには、学校が終わったら、ひとりで電車に乗って都内のセミナー会場まで来てもらっていたんです。

 

── 小学1年生がひとりでは、道に迷うこともありそうです。

 

居村さん:いつもは18時くらいには会場の最寄り駅まで来てくれていました。私は17時半まで会社で働いて、19時からセミナーをするという生活だったんです。

 

ところがある日、18時を過ぎても娘が来ない。やっと電話がつながったと思ったら、「いま、本八幡っていうところにいるみたい」と。学校帰りに電車で座って、そのまま寝ちゃったんですね。

 

── 迎えには行けないですよね。

 

居村さん:19時からセミナーが始まってしまうので、駅員さんに電話を代わってもらい、「神保町で降りるはずだったので、乗せていただけませんか」とお願いしました。19時を少し過ぎたころに、娘がひとりで会場のドアを開けて入ってきて。登壇中でしたがその姿を見たら涙が出てしまったのを覚えています。

 

安堵したと同時に「私って何ていう危険なことをさせているんだろう」という罪悪感でいっぱいになりました。でも、ひとりで娘を養い続けていくためには仕方がありませんでした。会社のお給料も生きるために必要でしたし、講師としてやっていくには実績も必要だったんです。

「ママ、死ぬ気になってない」娘の言葉で一念発起

── 会社員を続けながら講師としての活動を広げていったわけですね。

 

居村さん:自分のホームページを作って、食育やダイエットの講師をしていることを載せたら、職場でも知られるようになりました。そうした社外での活動をよく思われなかったようで、その後配置が変わり、往復7時間かけて通勤し、7時間立ちっぱなしで働く職場に異動になりました。 それでも、会社のお給料がなくなるのが怖くて、しがみつくしかないと思っていたんです。

 

── 会社を辞める決断をしたのは、どんなきっかけだったのでしょうか?

 

居村さん:ある日、小学生だった娘に「ママ最近、元気ないよね」と言われたんです。「会社を辞めたいけど、講師業だけじゃご飯を食べられない」と話したら、娘が「じゃあ、どうすればママの好きな仕事でご飯も食べられるの?」って。

 

私が「死ぬ気で頑張ればできるかもね」と答えたら、「じゃあ大丈夫だよ。ママ、楽しそうにやってるけど、死ぬ気になってないもん。死ぬ気でやろうよ」って言うんです。やりたい仕事があるのに、お金を理由に一歩踏み出せない姿を見透かされた気がして決意が固まり、翌日には退職届を出しました。

 

── 勇気のいる決断だったと思います。現実問題として、安定収入を失ってからはどうしていましたか?

 

居村さん:最初の1年くらいは、いろいろなところで講演をしながら、わずかな収入と退職金で生活していました。それが1年ほど経ったころ、私のホームページを見たテレビ通販会社から「美容と食の先生を探しています」と連絡が来たんです。オーディションを受けて合格して、そこから仕事が増えていきました。かつての同僚には「あのとき笑ってごめんね」と謝られました。

 

── 娘さんの芯の強さにも救われたのではないでしょうか。

 

居村さん:娘は小さいころから、私が驚くようなことを言う子でした。私が何かを決められずにずっと悩んでいたときも、「ママ、私思うんだけど、その悩んでる時間が一番、人生で無駄だと思うよ」って。「絶対どっちかに決めるじゃん、何でも悩みって」って言うんです。まだ低学年ですよ(笑)。

 

たしかにその通りだなと思いました。それまでの私はすごく優柔不断だったんですけど、その言葉をきっかけに、以前より決断が早くなりましたね。本当に「娘にも育てられた」という感じです。

 

取材・文:石野志帆 写真:居村仙紅