幼い娘をひとりで電車に乗せ、仕事先まで来てもらうしかなかった──。介護と育児の二重苦の中、会社員から講師への転換に挑んでいた居村仙紅さん。強い罪悪感を抱えながらも必死に働く日々を一変させたのは、わずか7歳の娘の力強い言葉でした。

「受付嬢をいつまで続けられる?」30代で感じた将来への不安

居村仙紅
未婚の母として、仕事と育児、そして両親の介護にも追われた

── 居村さんは34歳で妊娠した際、交際相手が既婚者だったことを知り、未婚で娘さんを出産されました。その後はシングルマザーとして働きながら、認知症になったお父さん、病気で寝たきりになったお母さんの介護も経験されています。当時、生活を支えていたのはどんな仕事だったのでしょうか?

 

居村さん:企業から受付業務を請け負っている会社の正社員として、出版社の受付で働いていました。ただ「受付嬢をいつまで続けられるだろう」という不安は抱いていました。だからこそ、頼られるために、お客さまの顔と役職者の内線番号は全部暗記し、すぐに電話を繋げるようにしていました。

 

── 仕事を続けられるか不安があったのはなぜでしょうか?

 

居村さん:30代半ばのころ、委託先に「私、何歳までここにいられますか?」と聞いたことがあるんです。そうしたら「見た目の若々しさや華やかな雰囲気が保たれている間は大丈夫だよ」って。当時は悪気のない会話だったと思いますが、 私は「年齢を重ねたら、この仕事を続けられなくなるのかな」とシビアに受け止めたんですよね。

 

── その言葉を聞いて、ご自身の将来について考えるようになった?

 

居村さん:周りを見れば20代の子ばかり。私は30代でしたから、アンチエイジングに力を入れ始めたのですが、そこから食や健康にも興味を持ちました。次第に「将来はその分野で独立して講師として仕事ができるようになりたい」と思い、資格の勉強をするようになったんです。

「シングルマザーなのに、勉強して何になるの?」

── 働きながら資格勉強をすることを、周囲は応援してくれましたか?

 

居村さん:会社のお昼休みもずっと勉強をしていたんですけど、同僚や後輩から「それやって何になるんですか?」と言われていました。「居村さんってシングルマザーですよね。勉強して何になるんですか?」とも。

 

私が「将来、テレビにも出られるような美と健康の講師を目指してるんだ」と言ったら、その場にいた人たちに笑われて。「お子さんいるんですよね?」「無理ですよ。無駄、無駄」って。

 

── そうだったんですね。当時、具体的にはどんな勉強をしていたのでしょうか?

 

居村さん:図書館でセミナー講師になるための本を読んで、ビジネスセミナーや話し方教室などに通いながら、食と健康やダイエットについても勉強していました。いろいろなセミナーに参加するようになったのですが、問題は子どもの預け先でした。主催する先生に「子どもを連れて行ってもいいですか?」と電話すると、最初は「ダメ」と言われるんです。

 

それでも「泣かなかったらいいでしょうか」と聞くと、「じゃあ、泣いたらすぐ出てくださいね」と。娘は本当に泣かない子でしたけど、夜のセミナーが多かったので寝ちゃうんです。帰りは娘を背中におんぶして帰っていました。

 

── お母さんに預けることはできなかったのでしょうか?

 

居村さん:母は、私に会社を辞めて起業するような道へ進んでほしくなかったんです。「それをやりたいなら、自分で子どもを連れて行きなさい」と言われていました。その後、母自身が倒れて介護が必要になったので、ますます預けることはできなくなりました。