貯蓄のほとんどが介護費と食費に消えていった

── 経済的にはどうでしたか?
居村さん:厳しかったです。当時は、平日にデイサービスやヘルパーさんを利用すると、介護費に月20万円くらいかかり、治療費やおむつ代、食費などまで含めると、月30万円くらいになった時期もありました。母の貯蓄も介護費や食費でどんどん減っていき、家を売ることまで考えなければならない状況でした。
しかも母は「自分は健康だから」と、がんが見つかる数か月前にがん保険を解約していたんです。 医療費も高額で、娘にもお金がかかる時期でしたから、経済的な不安にさいなまれていました。それに、周りの目もつらかったです。
── 周りの目とは?
居村さん:一番ショックだったのは、ママ友に言われた言葉です。私も大変なことが続いていたから、つい話を聞いてもらうことが多くて。「いつもこんな話を聞いてもらってごめんね」と言ったら、「いいのよ。仙紅さんの話を聞いていると、自分が幸せだと思えるから」と…。「私って、人が幸せを感じるほど不幸なんだ」と思ってしまいました。
── つらいときに話を聞いてもらいたかっただけなのに、その言葉はきついですね。
居村さん:子どもをひとりで育てると決めたときも、「母親なんだから」「ひとりで育てるなんて無理」「考えが甘い」と周囲から言われました。だから、誰かに頼ったり「つらい」と言ったりすること自体が、だんだん難しくなっていたのかもしれません。
市のFacebookに書き込んだ悲痛な言葉
── つらい状況でも、お母さんの介護は続いていきます。
居村さん:経済的な不安もありましたが、孤独にもさいなまれていきました。ずっと「誰か助けて」と思っていたのを覚えています。限界が来たある日、真夜中に市のFacebookに「死にたい」と書き込んでしまって。
── そこまで思い詰めていたのですね。その書き込みに、返信などはあったのでしょうか?
居村さん:その日の午前中に、市の生活相談員の方が「大丈夫ですか」と、連絡をくださいました。「申し訳ありません。相談する人もいなくて、つい書き込んでしまいました。大丈夫です」と答えたのですが、その方がすぐに動いてくださって、母を施設で緊急保護してもらうことになりました。そこで初めて、介護を自分ひとりで抱えなくてもいい状況になったんです。
誰かがつらいときに、私はそこにいたい
──お母さんの介護や闘病の経験は、現在の活動にもつながっていますか?
居村さん:母はがんが見つかる少し前に「自分は元気だから」と、がん保険を解約していたため、治療費などの経済的な負担にも直面しました。その経験もあって、現在はがん保険に携わる仕事もしています。
── シングルでお子さんを育てながら、ご両親の介護も担い、悲痛な思いを夜中にネットに絞り出さざるを得ないほど、大変な日々だったと思います。当時の自分を振り返って、今思うことはありますか?
居村さん:昼間はいろいろやることがあって気が紛れても、夜中は押しつぶされる時間なんですよね。当時、本当に死ぬつもりだったわけではなくて、母のおむつ替えで眠れなくなり、「死にたいくらいつらいことを誰かに聞いてほしい」という気持ちでした。
だから今、毎晩、夜中にSNSで元気に明るくライブ配信をしています。視聴者にはシンママや子育て中のママも多くて、「授乳しながら見ています」という方もいます。夜中でも子どもの世話などで起きているママは少なくないんですよね。
自分の過去の経験があるからこそ、誰かがつらい気持ちを吐き出したいときにそこにいたいと思いますし、「あんなに大変だった人でも、今はこんなに元気なんだ」と思ってくれたら嬉しいです。
取材・文:石野志帆 写真:居村仙紅