中高年が参加する恋愛リアリティ番組への出演で注目を集めた居村仙紅さん。かつてはシングルマザーとして娘を育てながら、両親の介護を担っていました。0歳の娘を連れて実家に戻った数か月後、64歳だった父に認知症の症状が。そこから、育児と介護を同時に担う生活が始まりました。
妊娠を打ち明けて初めて、相手が既婚者だと知った

── 食育や美容、健康について発信する講師として活動する居村さん。現在25歳になった娘さんを未婚のシングルマザーとして育ててきました。出産当時、結婚せずに子どもを育てる母親は今より少なかったと思います。どんな経緯だったのでしょうか?
居村さん:34歳で交際していたパートナーとの間に子どもを授かったのですが…。妊娠を打ち明けたとき初めて、実は相手が既婚者だったことを知ったんです。
── 既婚者であることにまったく気づかなかったのですか?
居村さん:毎日のように会っていましたし、家に帰ると「今帰ったよ」「おやすみ」の電話が来るくらいでしたから、まったく気づきませんでした。
当然、別れることになりましたが「子どもは未婚のまま産もう」と思いました。当時、35歳以上の初産は母子手帳に「マル高(高齢出産)」とチェックされる時代で、私自身も「もしかしたら子どもを産めるのはこれが最後かもしれない」と思ったんです。
── 未婚の母となることについて、周囲の反応はどうでしたか?
居村さん:両親は震えて泣きながら、押し黙ってしまいました。26年前は周囲からも「まだ間に合う、やり直しなさい」と反対されるのが普通でしたね。私自身もすごく葛藤しましたが、授かった命を諦めることができず、産んで育てることを決めました。
娘が生まれてからしばらくはひとりで育てていました。両親からは何度も「家に戻ってきなさい」と言われていたのですが、迷惑をかけてはいけないと思って断り続けていました。ところが経済的にどうにもならなくなり、娘が生後半年くらいのころ、実家に戻りました。
交通費すらたりなくて、母が途中まで迎えに来てくれました。母の手には、私の大好きなお寿司があったんです。父が「買って帰りなさい」と言ってくれたそうです。駅で母が娘を抱きしめてくれたときは、涙が止まりませんでした。
── ところが実家に戻ってすぐ、お父さんに異変が起きたのですね。
居村さん:認知症でした。まだ64歳で、退職して家にいるようになったばかりのころでした。最初は急に怒りっぽくなったり、育休を終えて復帰したばかりの職場に「早く帰ってこい」と電話がかかってきたりしました。母と買い物に出ているときにも、「どこにいるんだ」って。さっき話したことを忘れてしまうんです。
真冬の深夜2時、ランニングシャツ姿の父を追いかけ
── お父さんは徘徊もされていたと伺いました。
居村さん:夜になると急に元気になるんです。父は学生時代に陸上をやっていたので、「後輩にエールを送ってくる」と言って、真冬なのにランニングシャツで外に走り出す。頭の中では大学生に戻っていたんでしょうね。出かけるのはだいたい夜中の2時ごろでした。そのうち、父が出かける音が玄関から聞こえるとハッと目を覚まして、私が追いかけるようになりました。
── 当時、娘さんはまだ0歳ですよね。
居村さん:夜泣きがひどかった娘は母に見てもらって、私が父を追いかけました。当時は母も50代後半で、父を追って走れる体力はありませんでしたから。
「お父さんは大学生じゃないでしょ」と真実を言うと怒ってしまうので、抱きついて「お願いだから帰ろう」「お腹すいたでしょう」となだめる。4、50分くらいかかることもありました。家に戻ると、今度は夜泣きしている娘を母から受け取って、朝まであやす生活でした。
── そんな生活で、寝られる時間はあったのですか?
居村さん:1日1時間くらいしか眠れなかったので、朝の満員電車でつり革をふたつ持って寝ることで睡眠を確保し、なんとか会社に行っていました。
── お父さんはその後、施設に入所し、亡くなられました。しかし介護が終わった途端、今度はお母さんの病気がわかったそうですね。
居村さん:父が亡くなって「これからはママに親孝行するね」と母に言った矢先、今度は母に乳がんが見つかったんです。間もなくして脳腫瘍も発覚して手術を受けたのですが、その後、寝たきりになってしまって。
施設への入所も考えて動いていましたが、希望すればすぐに入れるわけではありませんでした。母は人が来るとしっかり受け答えをする人だったので、面接では普段の大変さが伝わりにくかったこともあったと思います。結局、在宅サービスを利用しながら、家では私が介護する生活が続きました。