「親の身勝手と言われても。どうしても妊娠したかった」。米国で45歳から不妊治療をはじめ、迷った末に卵子提供を選択したこりんごさん。不妊治療に総額で1000万円以上を投じ、49歳にして念願だった新しい命を授かるも、周囲からの反響はさまざまだったそうです。

妊娠のタイムリミットに、私はあまりに無知だった

こりんご
明るくアクティブなこりんごさん

── 28歳で単身渡米し、49歳で卵子提供によって第1子を出産したこりんごさん。現在は2歳の息子さんを育てながら、「NYこりんごラジオ」というYouTubeチャンネルなどで、自身の不妊治療やニューヨークでの育児について発信しています。妊活を始めたのは44歳。それまで、出産についてはどのように思い描いていたのでしょうか。

 

こりんごさん:親が離婚し、苦労する母を見て育ったので「永遠の愛はないんだな」と、結婚にはあまり夢を持てなかったんです。ただ、結婚とは別にいつか自分も必ず妊娠し、子どもを産むものだと思っていたんです。

 

日本では歯科衛生士として働き、長く付き合っていた恋人もいて、このまま家庭を持つ未来も見えていました。ところが、28歳でひとり旅をしたニューヨークに魅了され、「ここで暮らしてみたい」という衝動にかられたんです。仕事も恋人も日本に残したまま、最初は1年半程滞在するつもりで渡米しましたが、最終的には永住権を取るまでに。

 

渡米後の30代は、メタルバンドのドラマーやダンサーなど、未経験ながらやりたいことには何でも挑戦しました。ニューヨークには独身の人も多く、40代で出産した人も周囲にいたので、出産について「私もまだ大丈夫」と思っていたんです。でも後になって、彼女たちは若い頃に卵子を凍結していたと知りました。私は妊娠のタイムリミットについて、あまりにも無知でした。

 

──「まだ大丈夫」と思っていたこりんごさんが、妊活へ動き始めたきっかけは何だったのでしょうか。

 

こりんごさん:不妊に無知だった私でも、さすがに39歳になったときに「40歳までには出産しなければ子どもが持てないかもしれない」という焦りが出てきました。当時は交際している人もいなかったし、相手を探している暇などないと、精子バンクや、精子ドネーション(精子提供)をリサーチして、本気でシングルマザーになろうと思っていました。

 

ちょうどその頃、グリーンカードが取得できたのもあって、日本に一時帰国して、そのことを親に報告したら、呆れたように驚かれました。また、婦人科検診に行ったときに妊娠の相談をすると、日本の産婦人科医からも「まだ妊娠したいの?」と驚かれてしまいました。日本では私はとても非常識なことを考えているんだと感じました。

 

のちに、私は44歳のときに、NYの婦人科の先生に妊娠のことを相談したのですが、「まだ可能性はある!」と励まされました。日米での年齢での対応の違いに驚きました。

 

「40歳までには妊娠するぞ」と躍起になっていた私ですが、アメリカに戻り、40歳になったときに、現在の夫と出会いました。しかし、交際がはじまってもすぐには妊娠したいとは切り出さず、付き合って2年目、42歳のときに子どもが欲しいことを彼に告げると、まさかのノーでした。「君と子どもを養えるほどの収入がない」と。NYはトップクラスで物価が高いので、結婚や子どもを持つことに躊躇する人が多いのは事実です。そうした事情は理解していたのですが、先が決まらないまま44歳になると、今度は45歳までには妊娠したいと焦っていました。ここで彼がまだ妊娠に否定的だったら、彼と別れてシングルマザーになる予定でした。しかし彼に再び子どもについて話をすると、彼もさすがに、ここでノーと言ったら私に逃げられると思ったのでしょう、やっと私と子どもを持つことに合意を得られ、本格的に彼と妊活が始まりました。