妻からの「入籍しよう」のひと言に「なんで今?」

── 事故に遭った数日後、奥さんから「入籍しよう」と言われたそうですね。
京谷さん:妻は、事故が起きた当日から病院で付き添ってくれていたんですけど、たしか事故の5日後くらいに彼女から「入籍しよう」って突然、言われたんです。でも、僕はその時点では今後、車いす生活になるとか、サッカーができなくなるなんてわかってなかった。だから、不思議に思って「なんで今なの?」って聞いたんですよ。「俺が復帰してからでも十分じゃない?」って。でも、彼女は「今じゃなきゃダメなの」って言い張るんです。
今考えると、これから僕が車いす生活になることを妻は悟っていたんでしょうね。だから一刻も早く結婚して、妻として僕を支えようと決意したんだと思います。いっぽうの僕は、そんな妻の思いも知らずに、「翌月退職するタイミングで名字が京谷に変わっていたら何かいいことがあるのかな」などと、のんきに考えていました。とはいえ、こういう状況に巻き込んでしまったのは僕の責任だし、申し訳ないという気持ちはあったので、「君がそうしたいんだったら入籍しようか」と伝えて、数日後に入籍しました。
── 入籍はどんなふうに行われたのでしょうか。
京谷さん:病室で婚姻届を書きました。僕の両親は、いったん実家のある北海道に戻っていたので、妻に婚姻届を持ってきてもらって、妻の両親の立ち合いのもと、サインをしました。僕はギプスで背骨を固定されていて起き上がれなかったので、婚姻届を下敷きの上に置いて寝た状態で書き、ハンコを押して。それを妻が役所に提出してくれたんです。
車いす生活になった自分との結婚を選んでくれた妻
── 京谷さんは、当時の奥さんの日記でご自分の症状を知ったそうですね。
京谷さん:はい。妻の日記を見たのは婚姻届を出した後です。手術から1か月経ってない頃かな、彼女がいつものように「また明日くるね!」と帰った後、彼女が毎日大事そうに書いていた日記が、ベッドのサイドボードに置かれたままだったことに気づいて。思わず中を見てしまったんです。そこには「脊髄神経がダメになっている」「2週間経っても感覚が戻らなければ、車いす生活になると医師に言われた」と書いてありました。
それを読んで僕自身、ものすごいショックを受けました。日記のことは翌日、彼女に「日記、忘れていたよ」と伝えましたが、「中身、見た?」と聞かれたとき、咄嗟に僕は「見てない」と答えてしまって。とてもじゃないけど、日記で事実を知ったことは言えませんでした。
事故の後、毎日病院に来て、僕の世話をすすんでやってくれていた妻を傷つけたくなかったから。当時の僕は、みぞおちから下の感覚がまったくなくなり、排便や排尿のコントロールができず、しばらくオムツを履いていました。妻は嫌な顔をひとつせず、僕のオムツを取り換え、笑顔で接してくれていたんです。
そんな状態のうえに、車いす生活になる可能性が高かった僕に「入籍しよう」って言ってくれた妻は本当にすごいなって思うんです。もし自分が逆の立場だったとして、妻と同じことができただろうかと考えると、到底無理だよなって。
僕が事実を知ってから1か月後、担当医師から「この症例で治ったケースはありません。これからは車いす生活になります」と告げられ、その1週間後から車いす生活に。サッカーは翌年まで契約していたものの、サッカー選手からも実質、引退することになりました。
でも、妻の気持ちを考えたら、このままサッカーができなくなることをくよくよ考える人生を送るのは違うなと思ったし、彼女が相当な覚悟を持って僕との結婚を望み、選んでくれたことを考えると、守らなきゃと思いましたね。
── 京谷さんもそうですが、奥さんは本当に強い方ですね。
京谷さん:僕がいうのもなんですが、妻は本当にカッコいい人ですよ(笑)。
あとになって、あのとき結婚を決めた理由を聞いたことがあったのですが、「ほっとけなかった」って言っていましたね。「結婚しないと、この人どうなっちゃうんだろう」って思ったんでしょう。妻の決断によって、僕はひとりじゃないんだと思えたし、守らないといけない人ができたことで、強くなれたと思います。本当に、感謝しかありません。
取材・文:たかなしまき 写真:京谷和幸