自発的ではないバレーボールを続ける苦しみ
── その後、2003年と2007年にはワールドカップに、2004年にはアテネオリンピックに日本代表として出場されました。世界と戦うための練習はやはり厳しかったのでしょうか。
大山さん:当時の日本代表の練習環境は小学校で経験したようなスパルタの要素がまだ強くて、指導者から指示されたメニューで朝から晩まで練習する日も多かったです。精神的に追い込まれていく感覚が続いたときもありました。

ただ今振り返ると、厳しい練習そのものよりも、練習への向かい合い方に対する周囲との価値観の違いに一番苦しんだ気がします。
中高時代の経験を経て、当時の私にとって練習は指導者に指示されるものではなく、選手同士が意見を言い合いながら工夫するスタイルが普通になっていました。自分たちの体調などを踏まえて休憩時間などの時間配分もコントロールしていたんです。
でも、代表入りした周りの選手たちは、子ども時代から、決められた厳しいメニューに沿った、長時間の練習を当たり前とするスパルタ的指導をずっと受け続けていた人がほとんど。私が自分のコンディションを見ながら練習量を調整していると、「弱い、甘い」と受け取られてしまうことが多かったように思います。
また、怪我にも悩まされました。小学生のときから同じ体の箇所に負荷をかけすぎ、慢性的な痛みが続くオーバーユースな状態になっていて、怪我を重ねていました。代表入りしたときもまだ10代だったので、体は未熟でした。痛みを抱えながら周囲と同じ練習量をこなさなければならないうえ、自主練をしないと「またサボっている」「甘いよね」と言われてしまうような環境で、なかなか順応できませんでした。
── ケガの状況は本人にしかわからないし、自分でこれは休んだほうがいいと感じても、それを言い出せない状況だったのですね。それはつらかったでしょうね…。
大山さん:代表に選ばれたのは嬉しかったのですが、日本代表という立場の重みとプレッシャーをひしひしと感じていました。だから、当時は「メンバーから外されること」をとにかく恐れていて、「怒られないように、ミスしないように、メンバーから外されないように」って、バレーボールをする目的が大きく変わってしまっていたんです。その結果、学生時代の「うまくなりたい、強くなりたい」という気持ちを完全に忘れてしまって、自発的なプレーができなくなっていました。
「今自分がやっているバレーボールは、本来やりたかったものとは真逆だ」と感じながらも、厳しい練習に淡々と耐える日々でした。次第に自分を精神的に追い込むような考え方しかできなくなって、身体的なストレス症状も現れてしまって。
── 19歳のころから入眠障害にも悩まされていたそうですね。
大山さん:自分ではっきりと自覚はありませんでしたが、当時は眠れなくなるまで追い詰められていたんでしょうね。夜眠れないと、人間って本当に体力的にも精神的にも悪影響が出るんだなと、今振り返って感じます。
私の場合、結局、現役時代はずっと不眠症状で悩みました。心身ともに限界を感じ、結局、環境を変えるというか…日本代表を終えるという形しかないと思いました。 自分自身を守るために引退を決意したんです。
引っ込み思案で運動神経もよくなかったけれど
── 2010年に現役引退を発表後、現在はバレーボールの普及活動を積極的に展開されています。選手時代は苦しい期間が長かったようですが、バレーボールという競技への魅力は今もずっと感じていらっしゃるのですね。

大山さん:そうですね。もともとは体が弱くて引っ込み思案なタイプで、運動神経もそれほどよくなかったんです。そんな私が、小学生のときに初めてバレーボールに出合い、できなかったことができるようになる喜びを味わえて。背の高さを活かして勝利に貢献できて、みんなが褒めてくれたり、認めてくれたりしたことがすごく嬉しかったし、自分への自信にもつながりました。
その気持ちは現役時代も同じで、試合に勝って結果を残すことが、一番のやりがいになっていました。でも現役を引退した今は、結果だけを追い求めるのではなく、それぞれ個性を活かしながら楽しめるチームスポーツだということを知ってもらいたくて。そして、もっと多くの子どもたちにバレーボールに親しんでほしいですね。そのために、私もできるかぎり尽力したいと思います。
取材・文:たかなしまき 写真:大山加奈