高校生の頃から日本代表入りし、バレーボール人気の底上げに貢献した大山加奈さん。187センチの長身から繰り出される強力なスパイクが持ち味で、「パワフル・カナ」の愛称で注目を集めましたが、実は「日本代表に呼ばれて以降、自発的なプレーができなくなっていた」と話します。10代からバレーボールエリートとして活躍してきた裏で抱えていた苦悩について伺いました。

小6ですでに身長175センチ「スパイクは全部、私」

── 大山さんは、小学2年生でバレーボールを始めてから、小中高と全国制覇に貢献しています。大山さんといえば、力強いスパイクが有名でしたが、やはり小学生の頃から得意だったのでしょうか。

 

大山さん:私、小学6年生の頃には身長がもう175センチあって、ずば抜けて背が高かったんです。小学生の頃は、ローテーション制で選手が移動しながら各ポジションでボールを打つのと違って、ポジションが固定されていたので、身長が大きくてボールが強く打てる選手がひとりいれば、その選手が全部打って勝っても許される状況で。だから、当時は私がほぼ全部のスパイクを打っていましたね。

 

── 高校生のときには、唯一の高校生プレーヤーとして日本代表にも選出されました。まさに学生時代から群を抜いた実力を発揮されていましたが、どんな練習を受けていたのですか?

 

大山さん:小学生時代はスパルタだったと思います。練習日は週4日。練習量はすごく多くて、週末や祝日は、朝から夜まで練習をするのが当たり前の環境でした。また、練習自体、基礎を厳しく、徹底的に教え込まれていました。時代もあったと思いますが、指導の一環として、厳しい指導を受けることも少なくありませんでした。

 

大山加奈
中学時代、スパイクを打つ大山さん(C)月刊バレーボール

── そんなスパルタ指導を受けてきた大山さんですが、中学に入ると環境が一変。「自分で考えて動く」ことが求められるようになったそうですね。当時は厳しい指導がないのはもちろん、怒られることもなかったとか。

 

大山さん:そうですね。進学した中高一貫の成徳学園バレーボール部では、自律を促す指導を受けていました。理不尽に怒られることもなかったですが、とはいっても「いいよ、いいよ」って褒められるばかりの環境で育てられたわけでもないんですよ。スパルタ指導よりもある意味、鍛えられるというか。

 

たとえば、小学校時代はできないことがあれば、その都度指摘され、怒られてきました。でも、そうすると自分がやるべきこと、課題はわかるわけじゃないですか。怒られたくないから、課題にも真剣に取り組むようになる。そうやって指導者に従うだけの練習のほうが、ラクな部分はあると思うんです。

 

いっぽうで私の中高時代は自主練習が多く、練習メニューから自分たちで考え、工夫するなど、常に模索が必要でした。課題を見つけては解決策を探し、判断・実行する。しかも当時はキャプテンだったんです。自分が高みに到達するために努力するだけではなく、チームに対する関わりも必要だったので、すごく難しかったですね。

 

でも、自分の考えや行動が周りに認められたり、成長や結果につながっていると思えたりしたときは、そのぶん、達成感ややりがいを感じられました。