姉の言葉が息苦しい状況から脱する救いに思えた

── お母さんを守りたいのに、子どもの自分には何もできない。幼い清水さんが抱えるには、あまりに過酷な状況です。
清水さん:母が血を吐いて倒れたことで、ようやく両親も「ここから離れなきゃいけない」と本気で思ってくれて。母はずっとひとりで頑張って働いていましたが、父も真面目に働き始め、小学4年の後半に祖母の家を出て、家族3人で暮らすことになったんです。私も転校し、その後はしばらく平穏な日々を過ごせました。でも、中学に上がる頃、またしても借金事情で祖母の家に戻らざるを得なくなったんです。もう絶望的でした。そこからはまた同じことの繰り返し。
思春期に入って心も繊細になっていて、祖母や父に対して憎しみすら抱いてしまうようになっていました。両親は相変わらずケンカ、母と祖母もケンカの日々で、私はストレスから胃液を吐くようになりました。どうしても家に帰りたくなくなり、自分を守るために、友達と公園で時間を潰し、家族が寝静まった夜中に帰る。誰もケンカをしていない、静まり返った真夜中だけが、家の中で唯一息ができる時間でした。
── そこから抜け出すきっかけになったのは、お姉さんの言葉だったそうですね。
清水さん:あるとき、東京で暮らす姉に夜行バスで会いに行ったら、渋谷の109の前で芸能事務所にスカウトされたんです。そしたら姉が「あんたも東京に来たらええやん」と言ってくれて。私にはそのひと言が、この息苦しい家から抜け出す唯一の救いのように聞こえたんです。
それまでは、子どもの頃から続けていた空手の師範になりたくて、大阪の強豪校への進学を真剣に考えていました。でも姉の言葉を聞いた瞬間、「一刻も早くこの家から離れたい」という思いが湧いてきて、そのまま上京を決意しました。
ただ唯一の心残りは、置いていく母のことです。家を出る前、祖母に対して初めて真剣に「お母さんを傷つけたら一生許さない」と伝えました。祖母は血の繋がりのある私に対しては優しかったので「わかった」と素直に頷いてくれて。上京後も定期的に祖母と母へ電話をかけ、母が無事か確かめるようにしていました。
── そして15歳で上京。息苦しい環境から抜け出し、ようやく心休まる日々が訪れたのでしょうか。
清水さん:上京後は、姉と同じアパートでひとり暮らしをしながら高校に通い始めました。そこで出会った友達は、本当にみんな心優しくいい子たちだったんです。でも、複雑な家庭環境で育ち、泥水をすすってきたような生き方をしていた私にとって、周りとの家庭環境の差や、金銭感覚の違い、関西、関東の違い、いろいろなことに違和感を感じてしまい、なんだか汚れた鼠が「綺麗な夢の国」に迷い込んだような居心地の悪さ、恥ずかしさがありました。
当たり前のように家族旅行の話をする友人たちに「いいな」と思ってしまう。家族全員で出かけた経験すらなかった私にとって、私が持っていないものをすべて持っているみんなに引け目を感じていたんだと思います。
さらに、昔から抱えていた自分の大きすぎる胸へのコンプレックスが深刻化していた時期も重なり、心のバランスが悪化。学校へも次第に行けなくなりました。精神科に行くと、うつ病だと診断され、しばらく薬を飲みながら生活していました。