「病院でがん患者のためのファッションショーを開催したところ、参加者がみるみる自信を取り戻す姿を目の当たりにして」。33歳で乳がんが発覚し右胸を全摘した塩崎良子さん。抗がん剤治療の影響で脱毛し、経営していたアパレル事業も闘病中に辞めてしまった彼女が「自分にもまだやれることがある」と、おしゃれな医療ケアブランドを立ち上げたきっかけは主治医のちょっと変わった提案がきっかけでした。
不安があるのに戦うことができない怖さ

── 33歳のときに乳がんが発覚し、抗がん剤治療や手術を受けた塩崎さん。抗がん剤治療の影響で脱毛し、当時経営していたアパレル事業の華やかな世界との乖離を感じて、事業を畳むことに。治療を終えた現在は、新たに医療用帽子や介護杖を開発、販売するお仕事をされているそうですね。
塩崎さん:10年前に「KISS MY LIFE」というブランドを立ち上げ、おしゃれな医療用帽子やウィッグ、乳がんブラ、杖などの販売を始めました。私自身、入院中にケア用品を身につけているときに、いかにも病人らしい姿がいやだったんです。「気分が上がるような素敵なケア用品を作りたい」とこの事業を始めました。
今ではこのように順調に仕事をしていますが、実はその時点でできる最前の治療である標準治療を終えたばかりのころは家でふさぎこんでいる時期もあったんです。
── せっかく治療が終わったのに落ちこまれていたのですか?
塩崎さん:そうなんです。手術ではリンパ節を含めて右胸を全摘出し、見えている部分のがんはすべて取り除きました。アメリカでは術後は放射線治療で再発リスクを減らすのがスタンダードなのですが、当時の日本では胸を全摘出した後に放射線治療をするのは一般的ではなかったため、私の治療も手術でひと区切りとなったんです。
ただ、私はトリプルネガティブという乳がんだったので、治療ではホルモン療法などが効きづらく、増殖スピードが早いため再発リスクが比較的高いと言われていました。 検査では怪しい腫瘍がまだいくつかあり再発のリスクが高いのに、これ以上なにも治療ができないことで気分がふさぎこんでしまい、しばらくは家の中で無気力に過ごす日々が続きました。
── 標準治療が終わったからといって安心できなかったんですね。
塩崎さん:これまではどんなにつらい治療でも倒す相手がいるから戦えていました。でも怪しい腫瘍、再発のリスクがわかっているのに、もうこれ以上できる治療はないと言われてしまい…。戦うことができず、このままなにもできないで再発を待つのかという気持ちになってしまったんです。
患者が自信を取り戻す姿を目の当たりにして
── 不安はあるのに戦うことができないというのはしんどいですね。
塩崎さん:そうですね。しばらくは落ちこんでいましたが、時間が経つにつれて「もしやれる治療があるならば、なんでもやっておきたい」と思うようになりました。友人たちも治験を受けられるところを探してくれたりして、結果的に全摘後にはあまり行わない放射線治療を行っている病院を見つけたんです。そしてそこで、私のその後を大きく変える主治医との出会いがありました。
── どのような出来事があったのでしょうか?
塩崎さん:私は20代のころにアパレル店を立ち上げ、経営する仕事をしていたのですが、病気になったことでそれをすべて辞めてしまいました。新しい病院で出会った主治医は私を病人ではなくひとりの女性として接してくれる人で、治療をしていくなかでたくさんの話をしました。私が過去にアパレル店を経営していたこと、そのときドレスの在庫が家にたくさんあることなど。すると「そのような経験があるならば、院内でがん患者のためのファッションショーをやってみないか」と提案してくれたんです。
思ってもみない提案でしたが、ファッションショーであればこれまで自分がやってきたことが役に立つかもしれないと。それで院内でファッションショーを開催するためにドレス提供やスタイリングなどをしたのですが、参加した患者さんがファッションを通じて自信を取り戻していく姿を見ることができて。イキイキと楽しそうな姿を見ることができ、「ありがとう」という言葉をもらうことで私自身も自信を取り戻すことができました。
病気でずっと仕事から離れていましたが、これまでやってきたことはゼロではなかった。まだまだやれることはあるのかもしれないと、立ち直るきっかけになったと思います。