普通かどうかじゃない「特別枠」という発想

── 障がいがある方にどう接していいか迷う、という人もいそうです。
大前さん:いるでしょうね。僕も24歳で事故に遭うまで、足を切断した人に会うことはほぼなかったので、当時義足を着けた人に会ったら戸惑ったかもしれません。わからないものって不安じゃないですか。でも、昔に比べて街中で車椅子に乗っている人も見かけるようになったし、杖で歩いている人を見ても怖がらないですよね。義足も同じように見慣れたらいいのかな、とは思うんですけど。
── 改めて、事故から20年以上経ちますが、ご自身の人生を振り返ってどう思いますか。
大前さん:事故で左足を切断して、ダンスを続けていてよかったと思います。事故から20年以上経って、年齢を重ねたから言えることかもしれませんが。障がいを抱えたことで今までやってきた自分では通用しなくなり、大きな変化をしなければいけなくなりました。手探りで新しい自分を模索しながら、何度も傷つき、人を疑ったり、時には感謝しながら必死に自分の居場所を見つけたんです。不安だった状態から安心を掴んだことは大きな自信になりました。ここに辿り着くまで10年かかりましたね。
あとは、これも今だから思えることかもしれませんが、結果的に面白い人生になったと思います。
── 面白い?
大前さん:はい。僕は左足を切断して、当初目指していた方向とはまったく別の人生になりましたが、それも面白いというか。もし、僕が事故に遭わずにオーディションに受かっていたら、たぶん普通のダンサーになって、引退後は指導者になっていたかもしれないです。もちろんそれはそれで全然アリです。でも、今の僕は「義足のダンサー」として、ある種の特別感があるし、ありがたいことに周りから必要とされることも多いです。
先日も障がい者のダンスバトルの大会があって会場に駆けつけましたが、そこで僕は英雄なんですよ。みんな「写真撮ってください」って来てくれて、悪い気はしないですよね。自信が持てるし。僕は1回バレエから逃げましたが、その後、アーティスト集団「Alphact」という自分に合った居場所を見つけ、環境がどんどん好転していきました。環境の影響も本当に大きいと思います。
あと、自分の視野も広くなりました。「普通かそうじゃないか」「健常者か障がい者か」だけではなく、「どこに当てはめなくてもいい。特別枠があってもいい」と思えるようになったんですよね。人に対して姿・形だけで見るのではなく、本質で見るようになったと思います。
結果として、面白い人生になった
── その心境に行き着くまでに、ダンスを辞めようと思ったことはありますか?
大前さん:なかったですね。一度バレエは辞めましたが、ダンス自体は種類を変えて続けています。ダンスだけで食べていけるまでいろいろなアルバイトもしていて、テレフォンアポインターのバイトもしたことがあるんです。体に負担が少ないし、バイト中は足への意識が消えましたよ。でも、僕はダンスの世界で勝負がしたかった。ダンスの世界で認められたかったし、証明したかったんです。
また、ダンスを始める前は小・中学校といじめに遭っていた時期がありました。一つ年上の姉に発達障害があって、「お前の姉ちゃんはアホだから、お前もアホだ」って暴言を吐かれていて。学内の劇で準主役を演じると、みんなが僕を見る目が変わりました。ピタッといじめがなくなって、どん底から這い上がったような気持ちになったんです。みんなを見返すことができた経験がずっと生きています。だから僕は僕のやり方で見返してやろう。見返すことができれば変わるはずだ。そんなモチベーション、負けず嫌いが今もネチネチ続いている感じです。
── 負けず嫌いがポジティブに生かされて。
大前さん:そうだと思います。紆余曲折あったし、ここまで来るのにかなり時間がかかりましたが、結果、今は面白い人生になったと思っています。
取材・文:松永怜 写真:大前光市