「僕にとってはすべてだった」。憧れたダンスカンパニーの最終オーディション2日前に暴走運転の車に轢かれ、左足の膝から下を失ったダンサーの大前光市さん。突然奪われた将来への光と「なんで俺が!」という深い葛藤。「普通」を目指す苦しみを経て、障がい者としての自分を受容できるまでの、決して美談ではない道のりとは。
「なんで俺が!」夢の目前で左足を切断

── 義足のダンサーとして2016年リオパラリンピックの閉会式に出演。17年紅白では平井堅さんの歌に合わせてダンスを披露した大前光市さん。しかし、その華やかな活躍に至るまでには、想像を絶する日々を過ごしたと聞きます。そもそもダンスに興味を持ったのは中学2年生のとき、学校の演劇で準主役を務めたことがきっかけだったそうですね。その後の人生にも大きな影響を与えたとか。
大前さん:実は小・中学校でいじめに遭っていたんです。一つ年上の姉に発達障害があったので「お前の姉ちゃんはアホだから、お前もアホだ」と言われていました。それが、中学2年生のときに演劇で準主役を演じたところ、体育館から大きな拍手と歓声を浴びて、その日からいじめがピタッと止んだんですよ。「僕が輝ける場所はここだ!」と確信し、将来は舞台に立つ仕事をしようと思いました。高校は演劇部に入部。家が裕福ではなかったので新聞配達のバイトをしながらダンス教室のレッスン代を稼ぎ、大阪芸術大学・舞台芸術学科舞踊コースに入学しました。
── 大学卒業後はダンサーとして活動を続けていきますが、人生を一変させる出来事が起きます。
大前さん:24歳のとき、ずっと憧れてきた舞踊家の金森穣さんが新たなダンスカンパニー「Noism」を創設すると聞き、メンバーのオーディションを受けました。1次、2次と合格し、最終オーディションにまで辿り着いたんです。その2日前の夜のことでした。雨の中、道を歩いていたら、暴走運転の車にはねられたんです。
「バーン!」というものすごい衝撃音とともに空中に飛ばされ、一瞬真っ暗になって何が起きたのかわからない。左足を見ると血が溢れ、肉から骨が見え、左足を上げようとしても動きませんでした。状況を理解した瞬間、どうしようもない悔しさが込み上げてきて「なんで俺が!」と、思わず叫びました。
救急車で病院に運ばれると医師が来て、「大前くん、この足ね、切断しなきゃダメかもね」と言われました。神経が切れ、綺麗に洗って繋ぎ合わせてもいいけど、かなり歩きにくい。それより義足を作ったほうが歩きやすいって言われたのかな。他に選択肢がない状況で。翌日、目が覚めたら左膝の下が切断されていました。
短くなった左足の膝辺りがバスケットボールぐらい腫れあがっていて、麻酔が切れると激痛が走りました。でも、最終オーディションですぐに新潟に行かなきゃいけない。車椅子で現場に向かおうとして看護師さんに止められて…。「何言ってるの?」って思われるかもしれないけど、僕にとってはそれがすべてだったし絶対受かりたかったんです。