「家族が大好きだけど、家族がコンプレックスだった」。8人きょうだいで自分には取り柄がないと思い込んでいたビッグダディこと林下清志さんの三女・詩美さん。しかし就職後に「このままではいけない」と思い立ち、プロレスの世界に足を踏み入れました。引っ込み思案だった女の子の大躍進。今の活躍があるのは、やっぱり家族のおかげだと彼女は口にします。

大好きな家族がコンプレックスだった

林下詩美
小学生の頃、おとなしかった詩美さんが家族の前ではリラックス

── 2006年から2013年まで不定期で放送された番組『痛快!ビッグダディ』は、父・林下清志さんの波乱万丈な生き方や、子どもたちの日常を放送した大家族のドキュメンタリー番組として大きな話題を呼びました。父・清志さんは8回結婚していますが、詩美さんは父の1人目の妻の娘で、8人きょうだいの上から5番目、三女にあたります。きょうだいのなかでどんな立ち位置だったと思いますか?

 

林下さん:みんながすごく明るく元気だったので、私は家族のなかでは一歩引いて見ているというか、おとなしいほうだったと思います。

 

── 全員が年子でしたが、年齢の近いきょうだいがたくさんいることはどう感じていましたか?

 

林下さん:母は身体的に大変だったと思いますが、子ども目線だけで言うと、家でも学校でも近くにきょうだいがいたことはすごく心強かったです。

 

小学生の頃は奄美大島に住んでいましたが、1学年6人くらいで、ひとつの教室に2学年が入って授業をしていたんです。同じクラスにも隣のクラスにもきょうだいがいるし、階段を上がっても誰かいるので、家族大好きな私にとっては最高な環境でした。

 

── しかし、きょうだいが多いと比べられることがありそうです。

 

林下さん:それはすごくありました。きょうだいのなかには勉強やスポーツができる人もいれば、友達が多くて誰とでも上手にコミュニケーションがとれる人もいます。そのなかで「私にはなにもない」って、ずっと思ってました。

 

たとえば高校時代。私の姉は高校を1度中退し、私と同じ学校に入り直したので、私と同じクラスで3年間一緒に過ごしたんです。姉は明るくて活発で、みんなの輪の中心にいるような人でしたが、私はかなり寡黙で無愛想だったので「姉妹でも全然似てないね」って言われて。それが本当にショックでした。

 

たしかに、言われても仕方がない部分もあるんです。当時は自分から話しかけないどころか、誰かに話を振られても隣にいる姉の耳元でボソボソって返事を伝えて、「妹はこう言ってます」と姉に代弁してもらうような感じだったので。

 

みんながワーって盛り上がっている空間が苦手でしたし、大好きな家族に対してもコンプレックスがありました。みんなは個性や強みがあるけど、自分には何もないなって。

 

── 誰かに心情を吐露するようなことはありましたか?

 

林下さん:いえ、誰にも言わなかったです。誰かに話して家族に少しでもマイナスイメージを持たれるのが嫌だったし。