「最初は鶴見虹子が夜の街で働いているなんて記事になったらどうしようという不安もありました」。体操で二度のオリンピックに出場した鶴見さんが、それでも夜職を含めた数々の仕事を経験してきたのは、起業のための人脈を作るという目標のためでした。体操をもっとメジャーに、そして業界の低賃金構造を変えるべく奮闘する起業家としての今に迫ります。
牛丼チェーンから居酒屋、夜職まで経験した

── 日本体操界の天才少女として名を馳せ、二度のオリンピックに出場した鶴見さん。アキレス腱断裂を機に現役を引退し、新卒でベンチャー企業に就職するも、収入面で想像以上に厳しい現実に直面し、会社を退職されます。その後は何を?
鶴見さん:実は芸能事務所に入って舞台に出たりしていたんです。退職後の5年間ぐらいは自分探しの時期で、いろんなバイトも経験しました。居酒屋ではウイスキーの量が多すぎるという初歩的なミスを連発して「濃いよ!」と叱られましたね。現役時代の体重制限で禁止されていた牛丼を初めて食べて、その美味しさに感動して、牛丼チェーン店でバイトしたこともありますし、週4で国会議員の秘書のアシスタントをしていた時期もありました。それらはすべて世間知らずだった自分を新卒以下の状態から叩き直す作業ともいえると思います。
── その後、起業されるわけですが、なぜそう思ったんですか。
鶴見さん:引退するまで起業は考えていませんでした。でも引退後に入社した会社で体操教室の立ち上げに関わったんですが、収入面では厳しい現実もあり、「体操より勉強していい大学に行ったほうがよかったのかも」と思ってしまうほどでした。長く続けてきた体操を自分で否定してしまった悔しさが大きくて、「体操をやってきてよかったと思える人生にしたい」と強く思って起業することを決めたんです。
── その後、夜職も経験されたそうですね。五輪選手がいったいなぜそこまで。
鶴見さん:経営者になって起業したいと考えたとき、最も効率的に成功者と出会える場所は夜の街だと直感したんです。でも現実は甘くありませんでした。六本木で10店舗以上の面接を受けましたが、すべて不採用。当時27歳で客も持っていない元アスリートに、夜の世界は冷ややかでした。そこでまずは中野のスナックから始め、1年かけて地道に指名客を増やして。その実績を持って六本木、さらには銀座へとステップアップしたんです。
── それまで経験した職業とはまったく異なるだけに抵抗はありませんでしたか。
鶴見さん:当時の私は年齢的にも若くはなかったですし、お金もほとんどありませんでした。経営者が集まる懇親会は高額で、資金がない状態で足を運ぶのは正直かなり難しかったんです。最初は「鶴見虹子が夜の街で働いている」なんて記事になったらどうしよう、イメージが崩れてしまうかもしれない、そんな不安もありました。それでも経営者の人たちと話をして学ばないと経営なんてできない。そう思って、怖さよりも“知りたい”気持ちを優先しました。
──「オリンピック選手がなぜここにいるの?」と言われたこともありましたか。
鶴見さん:それが大半で「自分の価値を下げている」と説教されることもありました。でもグサグサと心に刺さる言葉を浴びながらも、私はママや黒服さんに「仕事に繋がるいいお客さまがいれば、元オリンピック選手だと明かして繋いでほしい」と自分を売り込みました。このとき出会った経営者の方たちがビジネスを立ち上げるときにも大きな力になってくれたんです。
体操業界の低賃金構造を打破したかった
── すごいメンタリティですね。そうした長い修行時代を経て、現在は体操教室を経営していますが、そのいっぽうでアイドルも育成していると伺いました。
鶴見さん:アイドルとの掛け合わせで体操をもっとメジャーにしたいという思いから始めたことですが、同時に体操業界の低賃金構造を打破したかったんです。体操教室の月謝ビジネスだけでは、コーチに十分な給与を払うことが難しい。命を預かる重労働なのに、評価が低すぎるのが実情です。
それなら体操をフィギュアスケートのアイスショーのように「観るエンターテインメント」に昇華させ、キャッシュポイントを多角化すべきだと考えました。そのための「体操ができるアイドル」なんです。
── 今、競技会に出場するようなトップ選手を育てたいとは思いませんか。
鶴見さん:新卒の会社で「なんでこんなにお金がないんだろう」というほど収入面での想像以上に厳しい現実を目の当たりにしたとき、オリンピック選手がここまでお金に困る現実って、あまりにも夢がないと思ったんです。
「今の子たちに何て言えばいいんだろう。引退したら本当に大変だよ、なんて言えない」。そう考えると悲しくて、このままではいけないと強く感じました。自分と同じ思いを、次の世代に味わわせたくなかったんです。だから今は選手を育てていません。オリンピック選手を育てるには、引退後の環境がまだ整っていない。そんな状況で育成するのは、あまりにも酷だと思うからです。