高校生のころ「放送作家」に憧れていたという浜口順子さん。ある放送作家に「弟子入り」を志願したほど、その思いは強かったそうです。そんな浜口さんが、なぜタレントの道を歩み始めたのでしょうか。(全4回中の2回)

番組のエンドロールを見て「こんなテレビを作りたい」

── 以前から放送作家に憧れていたそうですね。目指すようになった経緯を教えてください。

 

浜口さん:実は放送作家を志す前は「看護師」を目指していました。幼少期に難病指定を受けている「若年性特発性関節炎」を発症してから入退院を繰り返していたため、「小児病棟で働く看護師になって、同じ病気の子の気持ちに寄り添いたい」と考えていたんです。

 

浜口順子さん
高校1年生の浜口さん。オーディションの履歴書に使った写真

高校1年生のときも、担任の先生に「看護師になりたい」と伝え、苦手な理系科目の補習授業をしてもらうなど毎日、猛勉強して頑張りました。しかし、進路を決めるためのテストは、理系科目のすべてが1桁台の点数で…。担任の先生から「理系の進路に進めば、今回のような勉強をずっと続けなければいけない。これだけ頑張ったのに結果が振るわないということは、看護師になるまでのプロセス自体、浜口さんには向いていないのかもしれないよ」と諭されました。

 

その後、先生とも相談して「国語が得意だから、文字を扱う職業を考えよう」ということになったんです。

 

── 文系の進路に切り替えたということですね。

 

浜口さん:そうですね。しばらくは具体的な職業をイメージできずにいましたが、ある日、大好きなお笑い番組『吉本超合金』を観ていたとき「こういう番組を作る仕事がしたい!」とひらめいて。とはいえ、当時はインターネットが普及していない時代。テレビ番組を作るために、どのような職業を目指せばいいのかわかりませんでした。

 

──「放送作家」という職業をどのように知ったのですか?

 

浜口さん:番組の最後に流れるエンドロールに「放送作家」という文字が流れてきて。さらに『吉本超合金』に出演していたお笑いコンビのFUJIWARAさんが、現場にいた放送作家さんをカメラの前に引っ張り出すシーンがあり、「放送作家という職業がある」ということを知ったんです。

「弟子にしてください!」オーディション会場で異例の直談判

浜口順子さん
スカウトキャラバン決勝大会のとき。ドキドキの瞬間

── その後、16歳のとき「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に挑戦します。きっかけを教えてください。放送作家につながる第一歩として応募したのでしょうか。

 

浜口さん:「ホリプロタレントスカウトキャラバン」をプロデュースしているのが、著名な放送作家さんだということを知り、「放送作家さんに直接会える」と期待して応募しました。

 

実際にオーディション会場に行ってみると、『ダウンタウンDX』などの人気番組を手掛ける放送作家の倉本美津留さんに対面できて大興奮!面接のときに、審査員としてきていた倉本さんに「放送作家になりたいので、弟子にしてください」といきなり直談判してしまったほどでした。

 

── タレントのオーディションで放送作家を志願するなんて、印象に残ったでしょうね。

 

浜口さん:倉本さんからも「きみ、変わってるな」と言われました(笑)。その後「放送作家という仕事を知っているの?」と聞かれて、倉本さんが手がけた番組名を挙げながら、熱意を伝えたところ、「女子高生で放送作家の仕事を知っているなんて珍しい。おもしろいから残そう」と、地方予選を通過することができたんです。

 

その後も合宿予選、本戦と続きましたが、いずれも大御所の放送作家さんがプロデュースされていて。企画力を問われる審査もあり、とても興味深い内容でした。

 

── そのオーディションでグランプリを獲得し、タレントデビューとなりました。放送作家からタレントへ、どのように気持ちを切り替えたのか教えてください。

 

浜口さん:最終審査まで進んだとき、ホリプロの社員さんから「放送作家は経験を活かす仕事。まずはタレントの仕事をやってみたら」とアドバイスを受けたことが、気持ちを切り替えるきっかけになりました。

 

審査が進むにつれて「落ちてしまった子たちのぶんまで頑張らなければ」という意識が芽生えたことも、タレントになる覚悟につながったように感じています。