36歳で早発閉経の診断を受け、不妊治療を始めた矢先に乳がんが発覚した太田可奈さん。不妊治療を諦め治療に専念するなかで、自分の体に起きる変化をポジティブに受け止めてきました。(全3回中の2回)
早発閉経に続き、乳がんが発覚すると
── 36歳で「早発閉経」という診断。不妊治療に挑むものの、採卵までたどり着けず、クリニックを転院しようとしていた矢先に、乳がんがみつかったそうですね。あらためて詳しい経緯をうかがってもいいですか?
太田さん:早発閉経で体に卵子がほとんどない状態だったこともあって、「不妊治療は1年間だけにしよう」と夫婦でリミットを決めていたんです。ただ、半年間、卵がひとつも取れない状態だったので、クリニックから「うちでは難しいかも」と卒業をうながされました。夫と「あと半年間だけ頑張ろうか」と話し、転院を考えていた矢先に、乳がんが発覚したんです。
実は不妊治療をする前から、乳腺に石灰化があり、経過観察で半年に1度、病院に行っていました。あるとき、友人の医師に状態を伝えたら「じゃあ検査してみる?」と言われ、診てもらうことに。すると「ちょっと気になるな。もしも自分の家族なら、針生検をして組織検査をすることを勧めるよ」と言われたんです。「がんはとにかく早期発見が大事だから」とアドバイスされ、組織検査を受けたところ、ステージ1の乳がんを発見。その時点で、不妊治療をあきらめ、乳がん治療に専念することにしました。
── 早発閉経に続いて、乳がんまで…。それは大変でしたね。
太田さん:ショックでしたけれど、乳がんに関しては、ある程度、覚悟をしていたこともあって、割と冷静に受け止めていました。それ以上に早発閉経を告げられたときのほうが衝撃は大きかったですね。ただ、がんと聞くとやはり死を連想してしまうようで、むしろ夫のほうがショックを受けていて。夫と母は、全摘手術の方が安心なのではと言っていたのですが、先生からは、遺伝性の乳がんでなければ再発率に変わりはないと聞いたので、遺伝子検査をして問題がないことを確認し、部分切除を選択しました。
── コロナ禍での入院だったそうですね。お見舞い禁止の時期で、不安も大きかったのでは?
太田さん:誰もお見舞いに来ないぶん、患者さん同士でおしゃべりする時間が増えて、皆さんとすごく仲よくなったんです。同じ日に入院した人は一緒に説明を受けるので、同期の仲間のような感覚で心強かったですね。あるとき、60代ぐらいのきれいなマダムが、「手術で胸を取りたくない。女性じゃなくなってしまう気がして怖い」と泣いていらして、みんなで「大丈夫ですよ」と励ましたり。ステージ4のある患者さんは「親の介護をしながら自営業でお店をやっていて、自分のことはあと回しにしていたら、ここまでガンが育っちゃったよ!」と、つらいはずなのに、明るくしゃべって周りをなごませていて。そんな入院仲間の存在が心の支えになりました。
乳がん患者やサバイバーのコミュニティにも参加し、積極的に交流しました。全員経験者だから、親身になって寄り添ってくれるし、言葉にも説得力がある。私が参加したコミュニティは、皆さんポジティブで「一緒に頑張ろうね!」という雰囲気だったので、私もずいぶん励まされました。病院や治療方法など、経験を踏まえた有益な情報がたくさん得られ、いい先生にめぐりあうこともできました。
いざ自分が病気になると、わらにもすがる思いになって、いろんな民間療法を試してみたくなるけれど、やはりたくさんの経験者の声に耳を傾けて、冷静に判断することが大事だと実感しましたね。