「腹を括らないと、いろんな意味で」。エッジの効いた辛口コメントがテレビで人気となった川越達也さん。嫌われたくないと思いながらも当時、決めた覚悟とは── 。(全4回中の1回)
田舎出身だから、この追い風は逃しちゃいけない
── テレビや雑誌など、多数のメディアに出ていらっしゃった川越さん。初めてメディアに出たのはいつごろですか?
川越さん:25歳くらいかな。まだ独立前で、学芸大学で雇われ料理長をしていたときですね。『TVチャンピオン』という番組に声を掛けていただいて、お店の宣伝になるかと思って出てみたのが最初。若手のシェフが一風変わった料理を出すぞっていうので少しでも爪痕を残せればいいなって出ました。
── 27歳のときに独立。学芸大学からスタートし、後に代官山に移転して店舗を出すなどさらに活躍の場が広がっていきます。
川越さん:テレビや雑誌にも少しずつ出させてもらうようになって、『Hanako』や『東京カレンダー』で注目のお店、人気のお店といったページにも載せてもらう機会も増えました。一般的にはまだまだ知名度はないけれど、業界の中では名前が知られていくようになっていったのかな。
30歳半ばになると、さらにテレビでもいろいろ声をかけていただくようになって。いまだに忘れられないのが、榊原郁恵さんと井森美幸さんの料理番組『郁恵・井森のデリ×デリキッチン!』。若いときから観ていた番組ですが、「もう緊張するとか、恥ずかしがってる場合じゃないぞ!」ってかなり気合が入っていたのは覚えてますね。その後も、『お願い!ランキング』の「美食アカデミー」や、朝の生放送番組、料理人が集まる番組にも呼んでいただいたりして、ここは勝負かけなきゃ!と思いました。宮崎の田舎から出てきた僕ですが、この追い風は逃しちゃいけない!ってあの手この手でやってみて。
── 川越さんのキャラクターもコメントも際立っていった印象があります。
川越さん:私が言うのもなんですが、あんまりいなかったかな(笑)。腹を括らないと、いろんな意味で。料理を作るだけではなく、コメントメインの番組に出ても当然、嫌われたくない。かと言って行儀のいいコメントばっかり言ってもね。「中の中!」とか、あのころはちょっとエッジの効いたことを言ってもまだ叩かれる時代じゃなかったかもしれません。番組冒頭の5分、10分でドロドロした空気になったり、みんなが厳しいことを言ったりしても、最後は楽しい空気でランキングをつけて、楽しいハッピーエンドにしていただける番組でした。若干、生意気なことを言っても笑えるコンテンツにしてもらったと思いますし、料理人、企業側、視聴者、いろいろな目線で採点させていただきました。