ダウン症のあるアマチュア落語家で詩人の村上有香さんとお母さまの村上喜美子さんに、落語に出合ったきっかけや、子育てで心がけてこられたことについて伺いました。(全2回中の1回)
書きとめてきたユニークな表現を落語のネタに
── 有香さんが落語を始められたきっかけを教えてください。
喜美子さん:2023年3月に日本ダウン症協会(JDS)主催の世界ダウン症の日「321直前スペシャル」で、ダウン症の漫才コンビ「チーズハンバーグ」さんの漫才を間近で見たんですね。そうしたら有香が「私も漫才をやりたい」と言ったので、8月にJDSお笑い講座に参加しました。
そこに講師としていらしていたのが、吉本興業の漫才師さんと、子どもたちに「人を傷つけない笑い」を伝える活動をされている笑い教育家の楽亭じゅげむ(現・笑ってみ亭じゅげむ)さんだったんです。参加者の中から漫才と落語で1組ずつ、3か月後の11月に日本ダウン症会議で開催される市民公開講座の「お笑い D-1グランプリ」に、西の代表として出場できることになっていました。じゅげむさんの講座がおもしろかったこともあって、有香は漫才ではなくて落語で出場することになりました。漫才には「鳥吉」さんというコンビが決まりました。
── たった3か月で?台本はどなたが作られたのですか。
有香さん:お母さんが考えた創作落語をやったんです。
喜美子さん:有香のおもしろい日常生活を落語にしました。「私が産まれる前、母の夢は『子どもをバイリンガルにする!』だったけれど、産まれてからは、『日本語だけは話せるようにする!』に目標を大幅に修正しました」という5分くらいの演目です。
有香さん:私は、お母さんの夢を叶えることができました!
喜美子さん:当初は、有香がどれくらい台本を覚えられるかわからなかったのですが、やってみたら思ったよりたくさん覚えられました。有香にこんなに記憶力があるとは、落語をやるまで知らなかったです。まず親が自分の子の能力を見限らないようにしないといけないですね。有香に会わなければ、私はダウン症の人がこんなに考えごとをしているとは知りませんでした。
── 台本を考えるのは大変ではないですか。
喜美子さん:落語には有香のことを書いています。私は、有香が小さいころから言葉がどうやって発達していくのかに関心を持って、有香の言葉を書きとめてきました。5歳ころから「ユニークな発想をするな」と感じる言葉が出るようになって、それが私にとってはめちゃくちゃおもしろい。「どなたか芸人さんが、このネタ帳を使ってお笑いにしてくれないかな」と思っていました。「そうすれば、この子たちのおもしろさが伝わるのに」って。落語に「老婆の休日」という演目があるのですが、そこに出てくるお年寄りの話がおもしろくて。「これってうちの子と同じや、これなら自分でも書けるかもしれない」と思いました。
── ユニークな発想というのは?
喜美子さん:小学2年生のとき、遅刻しないように私が「早くしなさい」と言って有香が小走りになったら、ランドセルにぶら下げている給食袋が大きく揺れて足にポンポン当たったんです。そうしたら「給食袋も『ゆかちゃんあほや』と怒ってる」と表現したことがありました。寝ぐせが直らないとき「どうやっても髪がお散歩や」と言ったり、セーラー服の襟を「首の葉っぱ」と表現したり。そんな有香の言葉を網ですくうようにして、ホームページに書きとめてきました。そのうちに、有香が自分のことや家族のこと、学校の先生やお友達のことを詩に書くようになったのです。書いた詩を学校へ持っていくと先生が壁に貼ってくださって、お友達が感想を書いてくれました。
子どもの質問攻めには「地獄の果てまでつき合って」
── すてきですね。言葉を育むために、心がけてこられたことはありますか。読み聞かせとか?
喜美子さん:読み聞かせは、私はあまりしなかったのですが、夫が有香が0歳のときから一生懸命していました。有香は父親が買い与える図鑑が好きで、学童期によく読んでいましたので、有香は本が好きな子どもだったと思います。
言葉に関しては、私は、有香が質問してくることには辛抱強く答えるようにしてきました。4歳のときに、トイレへ行くたびに「(流れたものは)どこへ行ったの」「電車に乗って行ったの」と毎回同じことを聞かれて。何度も答えているから「わかっているはずなのに」とこちらもイライラしてしまったことがあります。専門の先生に「どうやって話を終わらせればいいですか」と質問をしたら「地獄の果てまでつき合ってあげてください」と言われました(笑)。「子どもは答えを知りたいのではない。親がどこまで応えてくれるかを試しているんです」と。
── なかなかできることではないですよね。
喜美子さん:もちろん、忙しいときは「今ごはんを作っているから待ってね」と言ったり、「有香ちゃんはどう思う?」と質問を返したりしてもいいそうです。ただ、邪険にはしないようにしました。強い口調で叱ることや、人の悪口を聞かせることもしないようにしています。姑の介護をしていたころ、忙しくてつい「早くしなさい!」と強い口調で叱ったことがあったんです。そうしたら有香が学校で「虐待されました」と言ったと聞いて、慌てて担任の先生に電話をしました(笑)。そのときのことを有香が「ぎゃくたい」という詩にしました。「心が破けて血が出た」と。
有香さん:私はちょっと叱られただけで高熱が出るんです。高熱が出て、救急に運ばれたことがありまして、点滴してもらうときに(まさか血管に針を刺すものだとは知らなくて驚いて)「そこは血管よ!」と叫んだんです。怒るとお金(救急にかかる医療費)がもったいないから、お母さんは気をつけているんです。
喜美子さん:病院の先生には「怒ったくらいで熱は出ません」と言われるんですけど、本当に出るんですよね。それから、これも療育の先生に言われたのですが、この子たちが夢を語ったときは「どうすれば実現させられるか」を伝えるよりも、夢をきらめかせることが大切なのだそうです。たとえば子どもが「歯医者さんになりたい」と言ったら、親はつい「大学の歯学部へ行かないとなれないよ」と言いたくなりますけれど、「どんな歯医者さんになりたいの?」と、夢をきらめかせるような言葉をかけるようにしています。