宇津木妙子さんは、現在、知り合いのダウン症の子と生活を共にしながら、ソフトボールの普及や後進の育成に力を注いでいます。その活動の原点は、幼少期の母親から言われた言葉にありました。(全4回中の4回)

母に言われた「あなたは恥ずかしい」

小学5年生のころの宇津木妙子さん
小学5年生の宇津木さん。学校に寄贈された東京オリンピック(1964年)の聖火トーチを掲げる

── 現在ではさまざまな活動を通して、ソフトボールの普及に取り組んでいます。どのような思いが原動力になっているのでしょうか。

 

宇津木さん:現役時代から「ソフトボール界をメジャーにしたい」という思いを抱いてきました。私が子どものころは、まだソフトボールの認知度は低く、ユニチカに所属したときも、同じ社内のバレーボールチームとは予算や練習環境の違いが歴然としていて。「勝って成果を出せば、もっとソフトボールを認めてもらえるのでは」と考えるようになりました。

 

全日本の監督に就任して、オリンピックでメダルを獲得できたときは、「少しメジャーになれたかな」と感じることができました。私は何ごとにも「もっと何かをしてあげたい」という気持ちが強いので、今後もできる限りを尽くしていきたいと考えています。

 

──「ソフトボールの認知度を上げる」ことが昔からの目標だったのですね。

 

宇津木さん:「認めてもらいたい」という思いの原点には、私の母の存在が大きく影響しているように感じています。

 

私は5人きょうだいの末っ子として育ちましたが、母は私を甘やかさない人でした。特に印象に残っている思い出は、私が小学校1年生のとき。授業参観で担任の先生から「妙子さんには、もう少し勉強を頑張ってほしいですね」と言われた母は、帰宅後「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、そんなふうに言われたことがない。あんたは恥ずかしい」と私に言ったんです。

 

子どもながらに、その言葉はショックでした。「なぜそんなこと言うんだろう」という悔しい気持ちとともに、「なぜ、母に『恥ずかしい』と言わせてしまったんだろう」と悲しい気持ちになって。そのころから「認めてほしい、褒めてほしい」という気持ちを強く持ち、「どうすれば認めてもらえるか」を考えることが多くなったように感じています。

 

── お母さんからの言葉がきっかけで、ソフトボールに打ち込むことになったのでしょうか。

 

宇津木さん:そうですね。今振り返ってみれば「母に認めてもらいたい」という気持ちが全日本の監督まで紐づいていると感じています。

 

それから、中学時代の恩師との出会いも、転機になっています。小学生のころから足が速く、かけっこでは負けなかった私は、「スポーツで1番になろう」と考えて、中学校ではいくつかの運動部を体験していました。ソフトボール部に体験に行ったとき、当時の顧問の先生から「宇津木のいいところはどんなところだと思う?」と質問を受けたんです。「責任感の強いところ、足が速いところ、元気なところ」など、思いつく限り答えたら、「その個性をソフトボールで生かして、県大会で優勝しよう」と言ってくれて。「いい先生だな」と感じましたね。先生に出会えたおかげで、ソフトボールを始めることができましたし、指導者としての信条を得たと感じています。

 

川島中学ソフトボール部に入部した当時の宇津木妙子さん
川島中学ソフトボール部に入部(中列右)

── 指導者としての信条とは?

 

宇津木さん:「個性を生かす」ということです。育った環境も性格も違う人たちの長所を、どうやって引き上げ、戦略プランを考えるかが、指導者には大切だということを学びました。

 

「これをしなさい」と指示をされても、選手の納得感は得られません。そうではなく、「これをすると、どうなるか」という将来の可能性を示してあげることで、モチベーションも維持しやすくなると思うんです。私の指導方法は我流ではありますが、中学時代の先生の言葉が指導者としての考え方のベースになってくれているように思います。

ダウン症の女の子と生活。指導者としての学びを今に生かす

── 現在は、知り合いのダウン症の女の子と一緒に生活しているそうですね。

 

宇津木さん:知り合いの子を預かって生活しています。彼女はダウン症で生まれたときから心臓に疾患があり、幼いころから病院通いが続いていて。可能な限り通院や看病に協力していたんです。

 

その子はとても頭のいい子で、小学校も普通学級の学習についていくことができていました。現在は社会人として仕事や趣味に充実した日々を過ごしています。私が仕事で数日間会わない日が続くと、毎日のように電話で会話をし、最後にはその子に「大丈夫だよ、監督」となだめてもらっています。

 

──「選手育成」と「子育て」について、共通している部分は感じますか?

 

宇津木さん:彼女と接するとき、監督として選手に向き合うときと同様に「どうやって個性を生かしていくか」を考えてきました。大切にしているのは、「できたことを褒めてから、改善点を伝える」ということ。納得してもらうための言葉の使い方や、声の大きさにも気をつけています。

 

一緒に生活することで得る学びも多く、「叱ること」と「指導すること」の違いにも目を向けるきっかけをつくってくれました。