託児所を使い、落語教室に3年通うも弟子入りを断られ

がんの疑いで入院当時の三遊亭あら馬さん
35歳のとき、胆管細胞がんの疑いで入院

── 東京に戻られてから、落語との出会いはどのようなものだったのでしょうか?

 

あら馬さん:東京に戻ってきてから、アナウンサーを目指していた自分を思い出すことが増えてきたんです。人前で話したいという気持ちが、まだ心の中でくすぶっていたんですね。それで、20代のころに通っていたアナウンサー事務所に顔を出してみたところ、偶然にも落語教室が開かれていて。「おもしろそうだな」と、最初は軽い気持ちで興味を持ったんです。

 

ただ、子どもたちがまだ小さかったので夜の教室に通うのは難しいと思っていたんですが、ママ友が「子どもたちを預かるから、気晴らしに行っておいで」と背中を押してくれて。それで週に一度通うことになりました。もちろん、毎回ママ友に子どもを頼むわけにもいかないので、託児所も使いながら3年間通いました。

 

── 落語のどこに魅力を感じたのでしょう。

 

あら馬さん:やっぱり自由に演出できるところですね。アナウンサーの仕事は放送禁止用語など、いろんな制約があったり、役者だと演出家の指示どおりにやらないといけないので自由にセリフは言えません。でも、落語は違うんです。自分の言葉で、その場の空気を読みながらノリでアドリブが入れられる。「これ、私にすごく合っているな」と感じました。15分の長ゼリフをもらうことは今までなかったので、こんなに自由で楽しい時間があるんだと本当に新鮮でした。

 

── そこから、本格的に落語家を目指す決意をされたのには何か理由があったのですか?

 

あら馬さん:実は35歳のとき、医師から胆管細胞がんの疑いがあると言われて。死を覚悟するような状況だったんです。上の子が小学生で、下の子はまだ幼稚園の年長。「ママはいなくなるかもしれないから、自分たちで家事ができるように」と、娘たちに火の取り扱い、味噌汁の作り方を教えたり、身の回りのことを自分たちでできるようにしていたんです。

 

さいわい、開腹手術をしたところがんではなかったんですが、「いつかまた死と向き合うときが来るだろう」と強く感じて。それで娘たちに「ごめん。ママは人生を後悔したくない。」と伝えたら、「私たちも笑点に出るママが観たい!」と背中を押してくれて。落語に本気で取り組もうと決意したんです。

 

でも、最初は簡単にはいきませんでした。落語教室でお世話になっていた今の師匠の三遊亭とん馬に弟子入りをお願いしたんですが、断られてしまったんです。

 

── なぜ断られてしまったんですか?

 

あら馬さん:ただ「今は取らない。」と(笑)。師匠はめんどうくさがりなので。かわいがってくださっていた他の師匠のところへも行きましたが、そこは年齢制限が30歳まで。

 

そして39歳のとき、再び師匠・とん馬に「そろそろ私を弟子にしてもらえませんか?」とお願いしたら、「わかった、取るよ」と言ってくれて。当時、年齢制限が「35デコボコ」とあやふやだった今所属している落語芸術協会のおかげもあり、本当の意味での入門が叶ったわけです。

 

三遊亭あら馬さん
三遊亭あら馬さん

 

PROFILE 三遊亭あら馬さん

さんゆうてい・あらま。落語家。女子大生タレント、ラジオパーソナリティ、コンサル会社総務、フリーアナウンサー、劇団スーパーエキセントリックシアター研究生を経て、2017年、三遊亭とん馬に入門し落語家に。2021年5月に二ツ目昇進。2019年杉並区立小学校PTA連合協議会会長。2022年11月より宝島社女性ファッション誌『GLOW』専属読者モデル。2023年4月、フジテレビ『めざまし8』、2024年9月、NHK『視点・論点』でPTA会長4回経験の解説者として放映。2024年10月より調布FMレギュラーとして出演。

写真提供/三遊亭あら馬