プライベートが仕事の犠牲に。業務で成果を出すも、結婚した夫との時間はほとんど持てない。多忙な日々で不妊治療も思うようにいかなかったという松元佳那子さん。夫の転職を機に、ある大きな決断をします。(全2回中の2回)

妊活3年目に人工受精に取り組むも

松元佳那子さんとご家族
「妊活」「体外受精」を経て巡り会えた家族と松元佳那子さん

── 大学で学芸員をされていた松元さんですが、現在は転職をして、フルリモートで働いているそうですね。なぜ転職をしようと考えたのでしょうか?

 

松元さん:転職をしようと考えた理由は2つあります。夫の転職に伴い引っ越したことと、不妊治療に取り組んだことです。とくに不妊治療によって、仕事に対する考え方が大きく変わりました。

 

前職は大学に併設された博物館で学芸員として働いていました。当時、その博物館の学芸員は私ひとり。抱えきれないほどの仕事をなんとかしようと、すべてを自分で背負いこみ、ムリをしていました。企画展の成功など、仕事で成果は出せましたし、達成感もありました。いっぽうで、自分の心と体を犠牲にしていた部分が大きく。29歳で結婚したのですが、仕事を最優先していたため、夫との時間もなかなかとれませんでした。

 

子どもはずっとほしいと思っていました。結婚してすぐ、妊娠陽性反応があったものの、残念ながら流産してしまって…。その後、自己流で妊活に取り組むも数年間うまくいきませんでした。結婚3年目くらいから病院に通い、人工授精に取り組み始めました。

 

ところが、多忙な仕事の合間をぬって通院する難しさを痛感して。妊活を始めると、身体のリズムに合わせて治療を行うため、半休を急に取る必要などがあります。先ほど言ったように、職場で学芸員は私ひとりだったので、仕事の調整は自分で決められ、休みは比較的取りやすかったです。でも、抱えこんでしまうタイプなので、「休んだぶんをどこかで穴埋めしないと」と、別の日に夜遅くまで仕事をしていました。

 

こうした生活を続けるうちに、知らず知らずにストレスを抱えていたんだと思います。通院しているのに妊娠につながらない不安と焦りから余裕がなくなり、いつもネガティブでした。完全に悪循環におちいっていたんです。振り返ってみれば、職場の人にもっと早くに相談すればよかったんだと思います。ただ、当時は「自分だけで解決するべき」と思いこんでいたし、周囲が男性ばかりで「妊活をしている」となかなか言えませんでした。

転職で人生を見つめ直して「体外受精をしたら…」

── 苦しい状況だったと思います。こうした状況を変えたきっかけを教えてください。

 

松元さん:夫の転職で、愛知県から大阪府に引っ越したんです。私も転職することになりましたが、そのときに「仕事中心の生活を変えよう。次の仕事では、絶対にムリをしない、ひとりで抱えこまない」と決めました。仕事にまい進し、やりがいを感じるのはすばらしいけれど、当時の私は仕事に忙殺され、プライベートがおざなりになっていました。

 

自分がどんな人生を歩みたいかと考えたとき、「子どもがほしい。もっと家族との時間を大事にしたい」と真っ先に思ったんです。そのために、最優先するべきなのは不妊治療ではないかと。ムリせず通院できるよう、時間に融通がきくフルリモートの仕事に就こうと考えました。

 

── そこで現在の職場を見つけたのですね。学芸員から競走馬の運送会社では、畑違いの職場ですが、転職したのはなぜですか?

 

松元さん:ちょうどそのころ、アニメとソーシャルゲームで人気だった『ウマ娘 プリティーダービー』にハマっていました。競走馬が主人公の作品なので、そこから大江運送株式会社の「競走馬運送」という業務内容に興味を持ったんです。同時に、フルリモートの仕事だったので、私にとっては働き方も理想的でした。「自分らしく働きたい」と考えて、思いきって転職しました。

 

── ちなみに就職活動中の面接では、妊活中であることを伝えましたか?

 

松元さん:はい。妊活で通院していること、治療のために急なお休みをいただくこともあるかもしれないことは伝えました。それに対して、「当社でしたら、休みたいときはいつでも申請できます。遠慮なく言ってください」と言ってもらえました。妊活を応援してくれていると感じてありがたかったです。採用されてからは、業務委託契約のリモートワーカーとして、広報や事務の仕事に取り組んでいます。勤務時間に縛りがないおかげで、気持ち的にも時間的にもゆとりを持てるようになりました。

 

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自分を大切にしたおかげか、妊活にも変化がありました。ちょうど大阪に引っ越したときに転職し、病院も転院したんです。人工授精ではうまくいかなかったため、体外受精に取り組むことになりました。さいわいなことに1回目の体外受精で妊娠し、長女を出産しました。