今年、歌手活動40周年を迎えた長山洋子さん。いまや演歌歌手として不動の地位を誇りますが、実はアイドル歌手としてデビューし、10年目で演歌歌手に転向しました。歌い方がまったく違うポップスから演歌への移行は決して簡単ではなかったそうです。(全4回中の4回)

演歌歌手のつもりがアイドルとしてデビュー

長山洋子さんのデビュー曲「春はSA・RA SA・RA」のジャケット
デビュー曲『春はSA-RA SA-RA』のジャケット

── 16歳でアイドル歌手としてデビューし、ユーロビートの名曲『ヴィーナス』のカバーで一躍人気者に。その後、デビュー10年目の25歳で演歌歌手に転向されました。

 

長山さん:子どものころから民謡をやっていて、もともとは演歌歌手としてデビューする予定だったんです。1年間のレッスンを受けて、デビュー曲まで決まっていたのですが、直前になって「演歌を歌うにはまだ早すぎる」ということで、急きょアイドルデビューが決まって。当時はアイドル全盛期で、荻野目洋子ちゃんや菊地桃子ちゃん、吉川晃司さんが同期でしたね。

 

デビューから10年が経ったころ、「そろそろ演歌歌手に転向してはどうか」という話が出て。私自身、「いずれは演歌を歌いたい」いう気持ちをずっと持ち続けていました。

 

長山洋子さん
演歌歌手としてスタートを切った年の一枚

── 10年間のアイドル時代を経て、歌い方を戻すのは大変ではなかったですか?

 

長山さん:10年のブランクは、思っていたよりも大変でしたね。ポップスと演歌では、間の取り方も、こぶしの使い方も全然違う。毎日レッスンに通い、いちから演歌の勉強をやり直しました。完全に演歌が体になじんで歌い方が変わるまで、ポップスは封印。「アイドル時代の歌はいっさい聴かない、歌わない」を徹底し、24時間演歌にどっぷり漬かっていました。このチャンスを逃したら、歌謡界ではもう生きていけないだろうと思っていたので、とにかくやるしかないなと覚悟を決めて、がむしゃらに頑張ってきました。