39歳のときに乳がんを宣告され、5年におよぶ闘病、10年にわたる通院生活を送ったモデルの園田マイコさん。病気のときは、息子さんや元夫、義母をはじめ、多くの人が支えてくれたそうです。(全2回中の2回)
モデルとして活躍していた24歳で結婚し渡米
── 18歳でモデルデビュー、雑誌モデルとして人気を集めていた24歳で結婚されました。
園田さん:周囲の仕事関係者は驚いていました。彼の仕事の関係でニューヨークに移り住むことになったため、出産もむこうですることに。周りに相談できる人がいないという不安がありましたが、若かったからか、怖いもの知らずで。不安よりも新しい環境が楽しくて仕方ありませんでした。出産後は母がニューヨークに手伝いに来てくれたのですが、当時と母の時代とではギャップがあって、育児方針の違いからケンカになることが多かったですね。インターネットも盛んではなかったので、母が帰国後は育児書を頼りに頑張った記憶があります。
── 結婚後、お仕事はどうされたのでしょうか?
園田さん:いまでは考えられないかもしれませんが、当時は出版社をはじめ、クライアントの方が飛行機代を出してくださって、ニューヨークから日本の撮影に呼んでもらえたんです。現地のファッションショーにも、出産後すぐに出演したことがありました。息子が2歳になるころに日本に戻ることになったのですが、帰国後も母や義母のサポートがあったため、子育てをしながら、なんとか仕事を続けることができました。
病気をきっかけに人に甘えられるように
── 旦那さんとはその後、離婚されました。ただ、元夫や義母との関係はいまでも良好だそうですね。
園田さん:そうですね。離婚後4年ほど経ったころに私が乳がんだということがわかったんです。元夫にも病気のことは知らせていて、病気がわかった直後にも連絡をしました。泣いているときに励ましてくれたり、抗がん剤の影響で味覚障害が起きているときは、よくご飯を作ってもってきてくれたり、外に連れ出してくれたりしましたね。
元夫の母、私にとっての義母とも仲良くさせていただいていて、元夫と離婚したいまでもよく会っていますよ。妙に馬が合うというか、本当の娘のようにかわいがってもらっています。息子の育児で悩んだときの相談相手も義母ですね。乳がんのときもいい病院を探してくれて、最終的に義母が見つけてきてくれた病院で手術をし、がん治療をしました。
── 病気になったとき、元夫や義母の存在が大きな支えになったんですね。
園田さん:そうですね。息子や元夫、義母が支えてくれました。乳がんがわかったころは離婚をしたばかりで、中学2年生の息子と2人で暮らしていました。息子は反抗期真っ盛りだったのですが、彼なりに考えて家の手伝いなどをしてくれて助かりました。
実は当時、夜になると抗がん剤治療の影響で急に不安になり、お風呂や布団の中で泣いていたことがあったんです。息子にそのような姿は見せられないので、こっそり泣いていたつもりだったのですが、実は気づいていたと後から知り、びっくりしましたね。
そんな息子もいまはもう29歳です。ふたりで元夫の愚痴を言えるくらい仲良しで、私のいまのパートナーといっしょにキャンプに行くこともあります。小さいころにあまり自然に触れなかったせいか、最近はアウトドアにハマっているよう。私も年齢を重ねたことで、自然の中で心を無にして気持ちを落ち着かせ、自分の内面と向き合う時間を大切にできるようになってきました。キャンプでリフレッシュするのが、いい気分転換になっています。