それでも離婚をしなかったのはぜか

ドバイにて

── 離婚という選択肢が脳裏をよぎることもやはりありましたか。

 

安藤さん:もう何十回もありましたよ。脳裏をよぎるどころか、「離婚」という文字がテロップのように頭のまわりを日々ぐるぐると流れていましたもの(笑)。映画の資金を横領されたりして、億単位の借金を抱えたこともありましたし。

 

それでも離婚の決断をしなかったのは、私が幼少期から抱き続けた理想の家族の風景があったからなのだと思います。家族がみんなで食卓を囲んで笑っている。子どもたちがキャッキャと笑いながら、「ごはん、おいしいね」と言ってくれる。そんな平和な光景に私はずっと憧れ続けてきたんです。

 

私の母は柳橋の料亭の女将でした。父には私たち母娘とは別の家庭がすでにあったため、母は女手ひとつで私を育て上げてくれました。父と食卓を共にすることはまれでした。小学校に上がる頃には私と母、寝たきりの母方の祖母、叔父3人、叔母とお手伝いさんが加わって…という大所帯でしたが、皆それぞれ忙しく、夕食はほとんどひとりだったんです。     

 

私がぽつんとひとりで食事をする部屋の次の間にお手伝いさんが控えていて、襖の向こう側から食事の進み具合を見ては、お盆を持ってきておかわりを装ってくれる。それが私にとっての普通でしたから、みんなでワイワイ言いながらごはんを食べるにぎやかな食卓にずっと憧れがあったんですね。それが離婚にまでは至らなかった一番大きな理由かな、と思います。

 

でも、どうでしょうね。すっぱり離婚していたら、もしかしたらもっといい人と出会って再婚できていたかもしれない。「たられば」だから、本当は何がよかったのかは誰にもわかりませんよね。令和の今であれば、私とは異なる選択をする人も当然いるでしょう。もしかしたら夫がずっと不在でも、AIやレプリカなんかの技術で“幸福な食卓”が叶う未来が来るかもしれない。

 

でも私の場合は、結婚生活を続けてきたおかげでかわいい孫たちと出会えたし、奥田もすっかり孫たちの優しいジィジになって、今は毎日がすごく楽しいんです。そう考えると、やっぱりこれでよかったのかな、とも思います。誰もが足りないところを持っているけれど、足りないところばかりを数えても何にもならない。

 

ひとつでも光るところを見つけて、そこに目を向けることが大事かもしれません。奥田は自分に正直にしか生きられない。それは周りを傷つけるかもしれない。でも、時間はかかったけれど奥田が正直に生きていたから、今の幸せがあるような気がします。忍耐できたのも、私が全部自分の意思で決めたことだったからかも…。

 

PROFILE 安藤和津さん

1948年、東京都出身。学習院初等科から高等科、上智大学を経て、イギリスへ2年間留学。CNNのメインキャスターを務める。1979年、俳優・映画監督の奥田瑛二さんと結婚。長女は映画監督の安藤桃子、次女は俳優の安藤サクラ。エッセイスト、コメンテーターなど幅広い分野で活躍中。

 

取材・文/阿部花恵 写真提供/安藤和津