スタッフ全員が吃音がある「注文に時間がかかるカフェ」。1日限定、全国各地で開催され、その活動はたびたびメディアに取り上げられ大きな反響を呼んでいます。発起人の奥村安莉沙さん自身も幼少期から吃音に悩み、周囲からの反応や就職活動に苦しんだ過去があります。カフェを開催するようになるまでのヒストリーを聞きました。(全2回中の1回)
「吃音はうつる」と誤解されていた時代があった
── ご自身が吃音だということに気づいたのが小学2年生の頃だったそうですが、当時の吃音を取り巻く環境はどうだったのでしょうか。
奥村さん:当時は吃音について知っている人があまりいなかったので、変わった目で見られる機会が多かったです。なので、挑戦したいことがあっても、どういう目で見られるだろうと思って諦めることの連続でした。また、私の地元では「吃音はうつる」といった誤解をされることもありました。もちろん実際はうつらないのですが、話し方がうつると思われて友達づき合いには苦労しました。たぶん吃音のことをよく知らないから、得体のしれないものと捉えられて怖かったんだと思います。
──「吃音」とひと口に言っても症状は人それぞれなんですよね?
奥村さん:はい。吃音は言葉がなめらかに出ない発話障害のひとつですが、「こ、こ、こんにちは」のように音を繰り返す「連発」、言葉を発するまでに間が空く「難発」、音を引き伸ばす「伸発」などがあります。私は難発で、特に“あ行”が出にくいんです。吃音がある人は日本では約120万人、100人に1人いると言われています。
── 奥村さんのご両親は吃音にどういった対応をされてきたのですか?
奥村さん:わが家では吃音の話はいっさいタブーでした。私が小さい頃は「吃音は意識しなければ治る」と思われていた時代だったので、意識させないために口にしない、という感じでした。私が吃音のことを話しても「そういえば今日の給食はどうだったの?」といったふうに話を逸らされてしまって。腫れ物に触るような感じでした。なので、私の吃音のことを家族で話題にするようになったのは本当に最近になってからです。父親からは「こういう活動がもし安莉沙の小さい頃にあったらどれほどよかっただろうね。当時もっと力になってあげられなくてごめんね」と言われました。
── 書籍『注文に時間がかかるカフェ たとえば「あ行」が苦手な君に』の中で、奥村さんが中学生の頃コンクールの絵がうまく描けたのに、もし入賞してしまったら全校集会で発表して笑いものになるという恐怖感から、わざと下手に描き直したというエピソードに胸が痛くなりました。
奥村さん:相手にどう反応されるだろうと思うと、発表する場が特に怖かったんです。人前で発表して吃音が出てしまったときの反応というのは、小さい頃から何度も積み重ねてトラウマになっていたので、なるべくそういう場面を避けようとしてきました。実は私は人と話すことが好きなのに、発表や接客といった場面を避けなければいけないという葛藤をずっと抱えていたんです。接客をしてみたい、カフェで働いてみたいという思いは、当時からずっとありました。
自己紹介ができずに落ち続けた就職活動
── 就職活動に落ちた数は200社にもなるそうで…苦労されたのですね。
奥村さん:就職活動中は、一次面接で落ちることの繰り返しでした。最初はどこもグループ面接で、自分の名前と出身校と志望動機を2分で言う、といった内容なのですが、あ行が苦手な私は自分の名前「奥村安莉沙」を2分で言いきることができなかったんです。どうにか1社、介護サービス事業の会社に受かって働くことになりました。
── その介護の仕事中に、バイク事故で命の危険を感じるできごとがあったとか。
奥村さん:訪問介護の仕事が終わって原付バイクに乗り、事務所に戻る途中でした。その日はかなり雨が降っていて道がぬかるんでいたため、赤信号で停まろうとしたときにぬかるみにタイヤを取られ、停車しているダンプカーの下に滑り込んでしまったんです。それほどスピードは出ていなかったので大事故というわけではなかったのですが、起き上がることがなかなかできなくて。周囲の人に助けを求めようと思ったら、声が出なかったんです。吃音の重さは日によって波があるのですが、その日は調子が悪かったためひと言目がどうしても出なくて。「このままではまずい」と焦っていたら、たまたま通りかかった人が気づいて、トラックの下から引っぱり出してくれました。
語学留学先のオーストラリアで吃音治療
── しばらくして介護職を辞め、オーストラリアに留学されています。その事故がきっかけだったのでしょうか?
奥村さん:いえ、事故とは関係なく語学留学へ行くことは決めていました。当時おつき合いしていた彼…今の夫がオーストラリア人ということもあって、英語を勉強しに行きたいと。ただ、オーストラリアに行ってみてわかったのですが、私は英語で話すほうが吃音がもっと重かったんです。そこで彼が「病院へ行けばいいんじゃない?」と言ったんですね。実は日本で受けた治療法が自分に合うとは思えなかった過去があって悩んだのですが、そのときに事故のことを思い出して、「また必要なときに声が出なくてつらい思いをするなら病院へ行ったほうがいいかもしれない」と決意するあと押しになったというのはあります。
── オーストラリアは吃音治療が進んでいるのですか?他の国や日本ではどうでしょうか。
奥村さん:オーストラリアは吃音研究がさかんで、対処療法がメインです。吃音の原因を根本的に治療するということではなくて、発話のスキルを磨いて楽に話せるような治療でした。アメリカでは脳の神経に働きかける薬を研究していますし、国によって吃音に対するスタンスが違うので、一概にどこが進んでいるとは言えないのですが。
日本ですと吃音を治すというよりは「受け入れる」という状況だと思います。吃音を受け入れるためにどうすればいいか、という方向ですね。もちろん、幼少期に吃音があっても、自然に治る方はいます。
── 本人が吃音を「受け入れる」なかで、周囲の人間がどんな支えや理解をすればよいのかアドバイスをお願いします。
奥村さん:吃音が出ても変な目で見ないでほしいです。普通に接してくれたら嬉しいですし、もし身近に吃音の方がいらっしゃったら、その人が何をしてほしいかを聞いて、寄り添ってほしいです。人によって吃音の症状や希望は違うので。
── いまお話ししていても、奥村さんに吃音があるとはわかりません。苦手だとお聞きした“あ行”もスムーズですし。治療にはどのくらい時間がかかったのでしょうか?英語で治療したのでしょうか?
奥村さん:英語と日本語、両方の治療を進めました。病院に通った1年半くらいで、ほぼ吃音とはわからないくらいに改善しました。その後は自宅で毎日トレーニングを重ねています。でも、今日は調子がいいほうです。日によって波があるので。
メルボルンのカフェでの接客体験を日本でも
── オーストラリアでは念願だったカフェでの接客業を体験されたそうですね。
奥村さん:はい。私が滞在していたメルボルンはカフェの街としても有名だったのですが、留学先の学校であるカフェの存在を知り、接客を体験することができたんです。そのカフェではハンディキャップがある人、病気がある人、ホームレスの人たちが就労支援のために接客のお手伝いをすることができて、報酬はお金ではなくてカフェメニューの一品でした。いろいろな事情を抱えた人がいて、私の英語が吃音でも誰も気にしないんです。
カフェでシフトがよく一緒になった年上の男性オーストラリア人がいました。言葉がなかなか出てこない人だったのですが、身振り手振りで楽しそうに接客をしていました。接客業というのはスラスラ話せなくてはいけないという固定概念があったなかで、彼を見て、こういう接客スタイルもありなんだ!と気づいたことが、日本で吃音者のカフェを開くヒントになりました。
── 帰国後、吃音の若者がスタッフとして企画・運営する1日限定の「注文に時間がかかるカフェ」を開催され、今年で3年目です。今後の夢を教えてください。
奥村さん:私は10~20代の頃に諦めてきた夢がたくさんあるので、吃音のある若者たちと一緒に今ひとつずつ叶えています。その夢のひとつがカフェの接客でした。
次の具体的な夢は、「発表」です。中学生の頃の絵画コンクールの話をしたように、今までは発表する場が嫌だったので、うまく逃げてきたんです。「注文に時間がかかるカフェ」の大学生スタッフに話を聞くと、最近は大学で発表する場がものすごく多いらしくて、そういう子たちと一緒に発表する場を持てたらと考えています。
これからも吃音があるみんなと一緒に少しずつ夢を叶えていけたらいいなと思っています。
PROFILE 奥村安莉沙さん
おくむら・ありさ。「注文に時間がかかるカフェ」発起人。幼少期から吃音に悩み、友人関係や就職活動に苦戦する。2016年オーストラリアに語学留学し、吃音治療を進める一方で念願だったカフェでの接客業を経験。2019年に帰国後、会社員のかたわら吃音啓発活動を開始。2021年に吃音のある若者たちが接客に挑戦できる1日限定カフェ「注文に時間がかかるカフェ」を実施。現在は吃音理解を深める活動に専念し、全国各地を飛び回る。
取材・文/富田夏子 画像提供/奥村安莉沙