香川県の真宗興正派「慈泉寺」の僧侶・片岡妙晶さん(29)。20代の若さで僧侶になった理由や、不登校になった学生時代の話を伺いました。(全2回中の1回)
祖父の姿に憧れ浄土真宗の道へ
── 香川県にある慈泉寺の子として生まれたそうですが、僧侶になったのは自然な流れだったのでしょうか?
片岡さん:私は慈泉寺の長女として生まれましたが、兄が後継として育てられたため、私自身は小さな頃から浄土真宗の教えなどを特別に受けたことはありませんでした。お寺の行事への参加も強制ではなく能動的で、衣を着たこともあまりなく、除夜の鐘をつくなど家族そろっての行事に参加する程度だったと思います。
ただ私はおじいちゃんっ子だったので、慈泉寺の僧侶であった祖父のことはずっと好きで憧れていました。
── ではどうして僧侶を目指すことに?
片岡さん:絵を描く、ものを作るなど美術に興味があったので、大学は京都にある美術系の学校に進みました。そこで伝統工芸を継承する職人さんの姿に憧れるようになったのですが、仕事として職人を選ぶのは違うのではないかと思うように。将来のことを考えたときに、自分の関心が仏教にあることに気づいたんです。
私が惹かれていたのは伝統工芸を作ること自体ではなく、「伝統を継承している姿」や「伝統を承継する考え方」など内面的な部分でした。その根底には憧れていた祖父の姿があり、自分も祖父と同じ道を歩みたいと思うようになりました。
── 僧侶にはどうやってなったのでしょうか?
片岡さん:私の所属する浄土真宗には世間一般で想像されるような山籠り・寺ごもりといった修行は存在せず、宗派指定の宗門校や学科を卒業してから、本山にて試験に合格する必要があります。宗派指定の宗門校とは、宗派指定の学校は龍谷大学など複数あり、私が通った中央仏教学院はそのうちのひとつです。
学校は1年間でしたが私のようにみずから僧侶になりたくて来ている人は少なかったですね。寺の後継で仕方なく通っている人、定年退職後にいらした方などもいました。
学院では仏教や浄土真宗、お勤めの作法についてなどを学びました。宗教のなかには他者の利益を重んじる教えも多いですが、浄土真宗の教えはそれだけではなく、「自分が満ちていなければ真に他人に利益を与えることはできない。自分と向き合い生きることが自然と他者のよろこびにも繋がる」。まずは自分を大切にすることでした。これが私の肌にすごく合っていると感じました。
不登校を理解してもらえず家族との間に壁が
── 僧侶になったことについて、ご家族の反応はいかがですか?
片岡さん:特に反応はありません。お寺は父が継いでいるため私は個人で活動していますし、家族は私の考えていることがよくわからないようです。「何を言っても聞かないだろうから、好きにさせておこう」という感じなのかもしれませんね。
── ご家族と距離があるのは、何か理由があるのでしょうか?
片岡さん:私は小学5年生の頃から不登校になり、中学卒業までほとんど学校に行きませんでした。先生の言うことに疑問を抱かない学校という環境に違和感を持っていて、それに納得することができずに休むように。しかし家族にはそのことをまったく理解してもらえませんでした。「学校に行くことが当たり前」という「常識人」の家族にとって、私は病人のような存在。この頃から話しても理解されず、向こうの考えを押しつけられることが苦痛だったので、家族とはほとんど話さなくなってしまいました。
すると、本当に話すことができなくなってしまい、声を出そうとしても喉がふさがったような感覚になってしまい…。苦しかったですね。高校は親が決めた養護学校に通うことになりました。
── 養護学校での生活はどうでしたか?
片岡さん:不登校になってからは家族から病人扱いをされ、周りも腫れ物を触るような扱いでした。養護学校では元からの知り合いはほとんどいなかったので、先入観を持って接されることが小・中時代よりは減りました。
それまで「不登校になるような子だから」と平均レベルの勉強すら「できない」と決めつけ、本当にできないのかすら確かめる機会すら与えられず、『自分はできないんだ』と思い込んでいて…。それが「高校生として当たり前の機会」を真っ当に与えられるようになったおかげで、自分の実力を確かめられるようになり、できること・できないことが分かって、自信を持てるようになっていきました。自分はいろいろなことができて、決して「できそこない」ではないと、自分を肯定できるようになったんです。
自分の経験を伝えられるのが僧侶の魅力
── 不登校の子どもは年々増えていますが、現状をどのように感じていますか?
片岡さん:私が学生の頃に比べると、フリースクールなど学校以外で子どもを理解してくれる場が増えたように感じます。ただ学校側が「自分たちで解決せねば」と不登校の子を抱え込んでしまい、不登校の子たちの選択肢をなかなか上手に活用できていないような気もしています。
保護者も「学校くらいは行っておかないと…」と決めつけてしまいがちです。でも子どもにも選択肢があって、毎日学校に行ける子もいれば、週3回がちょうどいい子もいると思うんです。「毎日学校に通う」か「不登校」かの二択ではなく、子どもたちのペースに合わせて、それぞれが心地よくいられる関わり方を理解してあげてほしい。学校側から選択肢を増やしてくれたら、もっと状況はよくなるのではと思います。
── 片岡さんのこれまでの経験が、いろいろな方の役に立ちそうですね。
片岡さん:僧侶の仕事の魅力は、自分が生きてきたことのすべてを反映できることです。苦しかったこと、傷ついたことなど、自分の経験を他者に伝えることで、自分の人生は無駄ではなかったと思うようになりました。
私は、自坊を任せられる人が別にいるなかで、言ってしまえば「必要はない」けれど僧侶として生きることを許された存在です。そんな感謝や恩を「自分の寺を盛り立てる」ではなく「宗教」そのものの意義を社会に証明することで返していきたい。そのために、自らがさまざまな場所に出向き、僧侶としての視点や考えを以て経験を重ね、それを伝えていきたいと思っています。
PROFILE 片岡妙晶さん
1995年、香川県生まれ。真宗興正派・慈泉寺の長女として生まれ、現在は布教使や教誨師として活動。現在は通信制サポート校「無花果高等学園」の運営に参画。
取材・文/酒井明子 写真提供/片岡妙晶