プロレスラーの姿をヒントに「バラエティではヒールを演じよう」
── バラエティ番組では毒舌・肉食キャラとしてキャラを確立されていました。
杉田さん:テレビって、キャラづくりが大事だと言われています。バラエティ番組に出るときも、どういったキャラでいこうか考えていました。もともとの性格は引っ込み思案だし、そんなに強く押し出せるものはないなと思って。
先ほどお話しした、ウッチャンナンチャンさんの番組に出演したとき、緊張した私がビールをガンガン飲むのを見て、内村さんから「あの杉田かおるが、こんなおっさんだったなんて」と言われたのがヒントになりました。
ちょっとはっちゃけた感じでいこうかなと思ったんです。いろいろ雑誌やテレビを見て参考になるものを探したときに、気になる人を見つけました。
── なんという人でしょうか?
杉田さん:戦後間もないころに活躍していたグレート東郷というプロレスラーです。『NHKスペシャル』で特集されていたのをたまたま観たのですが、あえて悪役を演じてプロレスを盛り上げたと。彼がいたからこそ、当時スターだった力道山たちがより輝いたそうです。その番組を観て、私もこの路線でいこうと思いました。
私がバラエティ番組に出演したころは、女性芸人もそれほどいない時代だったし、俳優もあまりトーク番組などにも出ていませんでした。だから、あえて私が毒舌キャラとして悪役を買って出ることで、可愛い人をより可愛く見せたり、女性芸人をなおさらおもしろく見せたりできないかなと思いました。
弁当屋さんで会った人に言われた「最高のホメ言葉」
── 毒舌キャラとしてバラエティに出演しているうちに、自分の性格も変わってくることはありましたか?
杉田さん:バラエティのときは毒舌キャラになりきっていたと思います。私は俳優としても憑依型というか、そのとき演じている役そのものになってしまうんです。
映画『大奥』に出演したとき、撮影期間が2か月間ありました。私は放火魔の役で、撮影中は朝から晩まで放火魔の気持ちでいました。他の役者さんと話をする余裕さえなかったんです。気持ちの切り替えができないから、映画の撮影中はバラエティ番組の依頼は断っていました。
他の俳優さんのスケジュールの関係で、火をつける前のシーンと火をつけた後のシーンの撮影が1か月空いたんです。その間は本当に苦しかったです。母の友人にカウンセラーの方がいて心理テストを行ったんですが、実際に「放火魔の心理」という結果が出たほどです。撮影が終わってもう一度心理テストを行ったら、元の私の心理に戻っていました。
── それだけ役に憑依されてしまうと、日常生活にも影響が出るのではないでしょうか?
杉田さん:撮影が終わったら元の自分に戻り、日常生活を送れるんです。それは、これまでいろんな方に厳しく演技指導をしていただいたおかげだと思っています。
ただ、バラエティに毒舌キャラとして出演したことで、人との接し方は変わったと思います。若いころは、表でいい子に見せておけば、裏では何をしてもいいだろう、性格なんてどうでもいいと思っていた時代もありました。
でも、悪役としてテレビに出ることで「子どもたちに悪い影響が出るとよくないな」と考えちゃって。テレビに映っていないときはいいことをしようと意識するようになりました。だからテレビの毒舌キャラとのギャップで「実はいい人なんですね」と言われることもありました。
── 若いころは清純派、20~30代は毒舌キャラとして活躍と、杉田さんは年齢によってイメージがガラッと変わっていると思います。ご自身ではこうしたイメージの変化をどう思いますか?
杉田さん:これまで嫌だったのは、同じような役柄ばかり演じなくてはいけないことでした。たとえば『金八先生』のあとはずっと似た役柄のオファーばかりだったんです。もっと他の役を演じたいと思っても、一度ついたイメージを壊すのは勇気がいります。
だから、ヘアヌード写真集を出版し、バラエティにも進出したときは、「清純派の杉田かおる」のファンだった方が、さーっといなくなりました。収入を得るために背に腹は代えられない部分もあったものの、結果的にそれが新しいイメージをつくるきっかけにもなったんです。
母の介護をしていたときはしばらく休業していたのですが、現在はまた俳優として活動をしています。最近、町のお弁当屋さんで会った人に「あ、いろんな役をやる人だ」って言われたんですよ。「杉田かおる」でもなくて、「チー坊」でもなくて、「いろんな役をやる人」と思ってもらえたのがすごく嬉しかったです。
PROFILE 杉田かおるさん
すぎた・かおる。1964年東京生まれ。俳優、タレント。7歳で「パパと呼ばないで」に出演し子役としてデビュー。79年TBSドラマ「3年B組金八先生」に妊娠する中学生を演じ話題に。バラエティ番組にも多く出演。2009年に10キロのダイエットに成功。美容、健康やオーガニック、農業などにも関心を深める。2013年から母の介護に取り組む。2018年、俳優としての活動を再開。
取材・文/齋田多恵 写真提供/杉田かおる