習いごととして始めたことが、職業にまでなる。自分のためというより家族のために続ける。芸歴54年のキャリアを持つ杉田かおるさん(59)は、そうして役者になっていきます。だからこそ、いろいろ思われることがあっても、彼女の芯は太くて強いのです。(全5回中の1回)

「引っ込み思案を直そうと」児童劇団に入団し

── 杉田さんは子役のころから活躍されています。子役になったきっかけを教えてください。

 

杉田さん:幼稚園のころはとても引っ込み思案で、人前に出るのが苦手でした。たまたま家の近くに「劇団若草」という児童劇団があり、入団することにしました。当時の児童劇団は芸能界をめざすというよりも、あいさつなどの礼儀も教えてもらい、発声や踊りの練習もできる習いごと感覚だったんです。

 

児童劇団に入ってレッスンを重ね、半年くらいするとテレビやCMのオーディションを受けるようになりました。でも、私は前歯の乳歯が取れていたせいもあるのか、映像のオーディションは全部落ちてしまいました。

 

ただ、声には特徴があるということで、CMのナレーションなどに採用されました。いま考えれば声優としての道もあったのかもしれません。

 

映像作品に出演できても、エキストラばかり。主役の後ろで、滑り台で遊ぶ子ども役を演じたときはなかなかOKが出なくて…。パンツが破れてお尻が痛くなったのを覚えています。

 

そのころはあんまり子役の活動を楽しいと思っていませんでした。でも、母が撮影現場に行って、いろんなスターさんに会えるのを楽しみにしていたんです。

 

オーディションに落ちると、落ちた子のお母さんたちが集まり、レストランで「また落ちたわね~」と残念会を開いて盛り上がっていました。その間、子どもたちにはパフェなどを食べさせてくれて、それも楽しみでした。

「言い方が違うよ」3歳の妹から演技にダメだしされ

── オーディションに落ち続けていたとのことですが、転機はありましたか?

 

杉田さん:ドラマ『パパと呼ばないで』のチー坊役に抜擢されたことです。チー坊とは主演の石立鉄男さんが演じる独身サラリーマン・安武右京と一緒に暮らすようになった少女役です。このドラマはオーディションではなく、制作側からオファーがありました。

 

この作品自体は放送される2~3年ほど前から動き始めていたんです。子役(チー坊役)をずっと探していたようですが、なかなかイメージに合った子がいなかったみたいで。

 

脚本家の松木ひろしさんが私のプロフィール写真をたまたま見て、「この子しか考えられない」とすごく推してくれたそうです。そのおかげで、実際の私は小学2年生だったけど、幼稚園生役として出演することになりました。

 

『パパと呼ばないで』撮影当時は7歳だったが、幼稚園生役を演じた

── 小学生が幼稚園生役を演じるにあたり、工夫したことはありますか?

 

杉田さん:3歳の妹からの演技指導がありました(笑)。私が家でセリフの練習をしていると、そばで聞いていた妹が「『パパ』の言い方が違う。『パパン』って、ちょっと最後に『ン』をつけるの」などと指摘されました。3歳ですごい観察力ですよね。妹は幼いころから利発で、どういう言い方をしたら小さい子に見えるか、わかっていたみたいです。

 

── 初めての大役で、やっぱり嬉しかったのでしょうか?

 

杉田さん:それがまったく逆で、プレッシャーが大きかったです。これまでエキストラの経験しかなかったから、『パパと呼ばないで』に自分が出演するなんて信じられなくて。スタッフの方も超一流の方ばかりでした。最初に現場を見学したとき、失敗が許されない、張り詰めた雰囲気に圧倒されました。

 

監督の千野皓司さんは、ものすごくこだわりが強い方でした。衣装のスカーフもイメージが違うからと三越で何枚も買ってくるなど、ディテールにこだわっていて。だから、セリフを間違えず、本番でうまくやらないといけない重圧がすごかったです。「のんびりパフェを食べる生活に戻りたいな」なんて思っていました。

人気ドラマ出演から「12歳の壁」にぶつかって

──『3年B組金八先生』、『池中玄太80キロ』など、多くの話題作に出演されています。俳優として順調なキャリアを積まれていますね。

 

杉田さん:そんなことはありません。私はすでに子役としてのイメージがついていたから、大人の役者としては使いにくかったんだと思います。子役だった子たちは小学5~6年生になると、芸能活動を卒業して、学業に専念することが多かったです。「12歳の壁」と言われていました。

 

私も小学校卒業を機に、それまで所属していた「劇団若草」をやめました。周囲から「やめるのはもったいない、役者の才能を伸ばしたほうがいい」と引き留められました。

 

でも、現場では子役の人として軽く扱われるし、「このままでいいのかな?」と迷いが生じてしまったんです。

 

とはいえ、6歳のときに両親が離婚していたし、母は身体が弱くて仕事ができませんでした。5歳離れた妹や私自身の学費を自分で払わないといけなかったから、働く必要がありました。子役の仕事は激減していて、これでは生活ができないと途方に暮れていました。

 

── 大変な状況ですね。どのように仕事を続けたのでしょうか?

 

杉田さん:さいわいなことに、私は役者としての活動だけでなく、童謡も歌っていました。やなせたかしさんなど、いろんな方の歌を歌い、土日は全国のデパートを回って営業活動をしていたんです。それがちょっとした収入になり、なんとか生活はできました。

 

ドラマや映画でも小さい役をもらうように。昼ドラにも出演させていただいたことがあるのですが、そのときの監督が『パパと呼ばないで』の千野皓司さんでした。「あれだけチー坊として頑張ったんだから、今後、俳優として活躍するために鍛え直してあげよう」といろいろ教えてくれました。

 

しかも、その昼ドラでお母さん役だった野中マリ子さんも、演技を理論的に理解している人で、教え上手だったんです。千野さんと野中さんから手取り足取り指導していただきました。でも、30回以上NGを出してしまって…。

 

スタッフからも「何度もNGを出す子」として見られたし、毎日撮影所に行くのに足が重かったです。その後、『3年B組金八先生』では15歳で妊娠・出産する浅井雪乃役で出演することができました。

 

──『3年B組金八先生』はいかがでしたか?

 

杉田さん:私の役は、難しい役どころだと聞いていたので、ドキドキしていたんです。ところが、『金八先生』は生徒一人ひとりをフォーカスしていくストーリーだから、いざ撮影が始まっても4話くらいまでセリフが全然ありませんでした。

 

もしかしたらセリフがないまま終わるのかな、昼ドラのときみたいにNGをたくさん出すのは嫌だから、それはそれでいいかな、なんて思っていました。

 

ところが、いざ演技してみると「昼ドラで鍛えられた成果が出ている」と自分でも手ごたえがありました。そのときも昼ドラと同じく母親役が野中マリ子さんで、声の出し方などをさらに指導してくれました。本当に幸運だったと思います。千野さんや野中さんにいろいろ教えていただいたことが、その後の俳優人生の土台になりました。

 

私は人との出会いには本当に恵まれているんです。要所要所で素晴らしい方に指導していただきました。もう辞めたいと思っても、なぜか俳優の道に引き戻されてきた気がします。

 

PROFILE 杉田かおるさん

すぎた・かおる。1964年東京生まれ。俳優、タレント。7歳で「パパと呼ばないで」に出演し子役としてデビュー。79年TBSドラマ「3年B組金八先生」に妊娠する中学生を演じ話題に。バラエティ番組にも多く出演。2009年に10キロのダイエットに成功。美容、健康やオーガニック、農業などにも関心を深める。2013年から母の介護に取り組む。2018年、俳優としての活動を再開。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/杉田かおる