タレント活動は実質5年間。バラエティやユニット活動で鮮烈なインパクトを残した神戸蘭子さん。大学生活も就職も「ふつう」に過ごすつもりが、モデルやタレント活動するまでに至ったきっかけを聞きました。(全4回中の1回)
「渋谷怖い」からJJモデルになったきっかけ
── 雑誌のモデルやバラエティ番組でご活躍されていた神戸さんですが、学生時代はどんなタイプでしたか?
神戸さん:中学、高校時代はハンドメイドが好きでした。洋服や小物などを作ったり、バレエを習っていたから、発表会の衣装を自分で作ったりもしていました。
高校生になると、おしゃれに興味を持つようになり、当時流行っていた『JJ』や『CanCam』などの雑誌を見るように。当時はギャルファッションが流行っていましたが、住んでいた宮崎県ではギャル系の子はほとんどいませんでした。私もごくふつうの子だったと思います。
── 大学進学を機に上京されたそうですね。
神戸さん:そうです。洋服を作る勉強を本格的にしたかったのと、上京したい気持ちがありました。ただ、親が厳しくて「上京するなら四年制大学に行かないとダメ」と条件を出されたんです。
それで、服作りのパターンや技術を学べる文化女子大学(現在の文化学園大学)服装学部服装造形学科に入学が決まりました。
── 上京後、雑誌に出るようになったのはどんなきっかけですか?
神戸さん:渋谷で声をかけられたのがきっかけです。当時はしつこい声かけを禁止する「迷惑防止条例」がなかったから、街を歩くとスカウトやキャッチセールスがすごくて。知らない人から声をかけられるのが本当に怖くて、警戒しまくっていたんです。
でも、あるとき同世代の女性2人が話しかけてきて…。つい立ち止まって話を聞いてみたら、すごく熱心に「ぜひ、メイクモデルの撮影に来てください!」と誘われました。
断れないまま一緒に行ったのが、雑誌『JJ』の撮影スタジオでした。その場でプロのメイクさんにメイクしていただいて、撮影を行い、雑誌に掲載されることになりました。
── スカウトされてすぐに誌面デビューしたのですね。雑誌に掲載され、周囲はどんな反応でしたか?
神戸さん:通っていた大学はロリータ系など、個性的なファッションの子が多かったんです。コンサバ系の『JJ』を読んでいる子は全然いませんでした。
だから、私が雑誌に載ったことを周囲もほとんど知らなかったと思います。私も目立ちたくないから、自分から言うこともありませんでした。
編集部の人はたびたび呼んでくださって、スケジュールが空いていたら撮影に行っていました。バイト感覚でしたね。プロにメイクをしてもらうのはすごく楽しかったし、まったく知識がなかったから「アイラインってこんなふうに描くんだ」みたいに勉強になりました。
就職した会社からモデル業を応援してもらったけれど
── 当時、ファッションモデルは身長の高い人ばかりだったと思います。メイクモデルから、小柄な人向けの「Sサイズモデル」としても活躍するようになったのはどんな経緯だったのでしょうか?
神戸さん:もともと『JJ』ではSサイズの子を対象にした連載をしていたので私もよく読んでいました。いろいろな企画で掲載されるようになった頃、編集部から「Sサイズモデルとして出ませんか?」と、声をかけられたんです。
でも、そのとき私は大学4年生。ふつうに就職活動をして、アパレルの会社から内定をいただいていました。会社員になるから、モデルの仕事は断ろうと思っていて…。ところが逆に、就職先の会社から「モデルとして雑誌に出てください」と言われたんです。
それで、会社がスケジュール管理も衣装提供もしてくれるように。広報として自社の洋服の紹介をする意味合いもあり、雑誌に出ていました。
── 会社公認でモデルとして活動していたんですね。
神戸さん:ヘアやメイクのお仕事で仲良くなったスタッフさんとも会えるから、モデルの仕事は楽しかったです。
でも、アパレルの会社では、ショップスタッフとして店頭に立つこともありました。すると、「このお店に雑誌に出ている子がいるらしいけど、どの子?」みたいな感じで来店される方もいて。
私はふつうに就職活動をして会社員として働くつもりだったから、注目されるのに違和感があって…。上司も社長もすごく優しいから、だんだんしんどくなってしまいました。
── 周囲が優しいのに苦しいというのは、どういう状況だったのですか?
神戸さん:新卒1年目って、仕事も覚えることだらけじゃないですか。私は平成育ちだから「一番下っ端は厳しくされて当たり前」みたいな感覚でした。でも、雑誌に出ているというだけで周囲から気づかわれる気がして、申し訳なくなってしまったんです。
実際はみんな、優しい方たちだったのですが、私が勝手に「まだ一人前ではないのに特別扱いされている」と変な劣等感を抱いてしまって…。忙しすぎて体調を崩したこともあり、会社を1年で退職することにしました。
── 退職後はどんなことをしましたか?
神戸さん:雑誌のモデルの仕事は継続しつつ、洋服作りに携わりたくて別のアパレル会社で働き始めました。
当時の洋服は規格外のサイズ展開はあまりされていなかったんです。それでアシスタントのような形で、Sサイズ展開をしているブランドの縫製やデザインに関わる仕事に就きました。
「話すのは苦手」20代後半からのタレント活動
── モデルの仕事、アパレルの仕事をしていた神戸さんが、芸能界入りしてテレビのバラエティ番組に出演するようになったのはどうしてですか?
神戸さん:ファッションショーを観に行ったときに、芸能事務所からスカウトされたのがきっかけです。事務所に所属することになってから、なんだかあっという間にテレビ出演が決まり、会社も退職することになりました。
── 芸能界には興味があったのでしょうか?
神戸さん:まったくなかったです。自分とは関係のない世界だと思っていました。しかも、すでに20代後半になっていたから「芸能界って、もっと若いときから目指すものじゃないの?」と、とまどいもありました。
人前で話すのは苦手だし、私は向いてないとも感じていたんです。でも事務所がどんどん話を進めていて、気づいたら私が知らないうちにテレビに出演することになっていて…。ちょっと断れない状況になっていました。でも、そのおかげで普通に生活していたら縁のない芸能界で仕事ができたから、縁って不思議だなと感じます。
PROFILE 神戸蘭子さん
かんべ・らんこ。1982年生まれ、モデル、タレント。女性ファッション誌『JJ』のSサイズモデルとして雑誌やテレビ番組などで活躍。2014年結婚、現在2児の母親。デニムリメイクのハンドメイドブランド「CIEL BONBON」を設立。2023年ディレクターを務めるベビー服ブランド「Baskin Folks」、フォトスタジオ「Studio Capture Free をプロデュースし、2023年にオープン。
取材・文/齋田多恵 写真提供/神戸蘭子