匿名掲示板『2ちゃんねる』の開設者でもあり、その発言が世の注目を集める西村博之(ひろゆき)さん。その妻・西村ゆかさんは、家庭の事情で大学進学せず働く選択をし、当時新進気鋭だったIT業界へ。学歴コンプレックスに苛まれつつもひたすら努力してきたことを著書『転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え』(徳間書店)でも語っています。当時を振り返り、今思うことは。

進学校に通う“こじらせ女子”だった

西村ゆかさん
「学生時代はこじらせ女子でしたね」と語るゆかさん(撮影/松園多聞 ヘアメイク/タナカミホ)

── ご両親のギャンブル依存や離婚なども経験されたそうですが、どのような学生時代を過ごしましたか?

 

ゆかさん:めちゃくちゃな家庭だったのに、親の見栄もあってか、私は私立のいわゆる進学校に通っていて。周囲には裕福な家庭の子が多かったから、自分の家庭環境をクラスメイトに理解してもらえるとは思っていませんでした。でも、10代特有のこじらせがちな部分もあって(笑)、“全部ひとりで頑張らなきゃいけない自分って、なんてかわいそうなんだろう”という思いも抱いていましたね。

 

キャピキャピしている部分もあったんですが、内面はドロドロしているというか…。もっと子どもらしく振る舞えて、“実は大変で困っている”って周りに言えたら、もう少しラクだったかもしれません。

 

── そのこじらせのせいでしょうか、周りの人にきつく当たってしまう時期もあったとか。

 

ゆかさん:20代前半くらいまではまったく無自覚でした。周りの大人と円滑に物事を進めるために、むしろ外面はよかったし(笑)。その反動だったのか、恋人など身近な人に対して、何かにつけてきつい言い方で攻撃していたんですよね。ひろゆき君に対してもそうでした。彼とはもう20年来のつき合いですが、ずっと私の毒舌を穏やかかつ冷静に受け止めてくれたんです。それで徐々に「こんな言い方をしたら相手を傷つける」ということがわかってきた気がします。

「大学なんて行かない、キャリアを積む」と18歳で決めた

── 大学進学をあきらめて、働き始めたとのことですね。どうしてその決断をされたのでしょうか?

 

ゆかさん:高校を卒業した時点で、大学には進学しないつもりでした。でも浪人生のように過ごしていた1年間は、なんだかんだ迷いや葛藤を抱えていて。親戚や友人のお母さんから“学費を払ってあげるから、大学に行きなさい”って言われたこともありました。

 

でも、私がやりたいことはデザインの仕事だってはっきりしていたし、大学に行かないとできないわけじゃない。先に実務で経験を積んでいったほうがキャリアになるだろうと考えたんです。

 

ちょうど20歳の頃に『Microsoft Windows 98』がリリースされて、自宅でネットに繋ぐことが一般化してきました。最初は広告のグラフィックデザインをやりたいと思っていたのですが、インターネットが身近になってきて、Webデザイナーという職業をあることを知ったんです。Webデザイナーだったら、新しい職業だから学校に行かなくてもできそうだし、学歴なんか関係ないだろうと(笑)。

 

── 当時はかなりの覚悟が必要だったと思いますが、高校の進路相談ではどのように言われましたか?

 

ゆかさん:私が通っていた高校は、ほとんどの生徒が難関大学を目指して受験するような環境でした。だから美大に行きたいという時点で、レールから外れていて(笑)。先生には「美大に進学する学力はあると思うけれど、実技のことはわからないな…」と言われましたし。

 

伯母にはものすごくガッカリされて、「大学に行かないなら、あなたの人生はこれで終わりね」とまで言われました。でも、祖母や伯父(伯母の夫)などは私の選択を理解して受け入れてくれましたし、それほどつらかった感覚はないんです。

 

高校卒業後すぐにデザインのアシスタントのアルバイトを始めたこともあって、周囲の人たちは夢に向かって頑張っていると理解してくれていたのかなと思います。

 

西村ひろゆきさんと妻のゆかさん
IT業界の異種交流イベントでひろゆきさんと出会い、その後結婚

── そんなふうに、10代のうちに将来を見据えて自分の道を突き進むのは勇気がいることだと思います。

 

ゆかさん:むしろ、何がやりたいのかわからない状態で大学受験を頑張れる人のほうがすごいけどな(笑)。 私は「なんで試験なんか受けなきゃいけないんだ」って考えて、勉強に身が入らず落ちちゃうタイプだから。とりあえず進学しようって努力できる人って立派だと思います。

「好きな仕事」から「得意な仕事」にシフト

── ゆかさんのように、自分に合った仕事を見つけたいけれど、一歩が踏み出せない人も多そうです。そういった人にはどんなアドバイスをしますか?

 

ゆかさん:私は決して賢く立ち回れるタイプじゃないので、参考になるかわからないけれど(笑)、まずは、やりたいことやこれだけは譲れないという部分を明確にしておくことって大事だと思います。

 

私の場合は、デザイナーになりたいというよりは、ものづくりが楽しいと感じていたんです。まずそれがあって、現実的に自分にできそうな職業を考えたときに、頭に浮かんだのがWebデザイナーでした。

 

デザイナーの仕事自体は好きでしたが、後輩の指導などをしていくうちに、自分はディレクションのほうが得意だってわかって。仕事として続けていくのだったら、ディレクターとしてやっていくほうが、効率よくお金も稼げるし、いい結果も残せると考えて、ディレクターに転身しました。

 

デザインの仕事は、好きだからこそすごく細かいところまで気になってしまって。何度も手直しをしてしまうから、コスパが悪い。時給換算すると、めちゃくちゃ安いんですよ(笑)。自分が疲弊するような働き方をしてしまうというか。だから、「好き」と「得意」を見定めるのも大事だと思います。

 

── 当時は、手術をしたその足で出社するほど(!)がむしゃらに働いていたそうですね。

 

ゆかさん:まさに社畜でしたね。「ワークライフバランス、なにそれ」みたいな風土だったので(笑)。終電より早い電車に乗れたら「今日は早く帰れた」と思うようなタイプでした。若かった頃の経験で得たものは大きかったと思うけれど、そういう働き方は続けたくなかったですね。

 

── その後、フリーランスとして独立されています。

 

ゆかさん:デザイナーって、夕方頃になって「これ急ぎで今日中にお願いします」って急な仕事を頼まれることが本当に多くて。結局、夜のほうが忙しかったりするんですよ。そんな状況だったので、なんで朝から出社しなきゃいけないんだろうってモヤモヤしていました。

 

もともと、毎日出社したくないからインターネット業界に飛び込んだのもあります。ネット環境があれば、どこでも仕事ができるじゃないですか。Webデザイナーになろうって決めた時点から、いずれは会社に行かずに仕事ができるようになりたいと思っていたんです。

病気を患う今のほうが「ワークライフバランスは取れている」

─ 難病である「シェーグレン症候群」(注)を患っていることを公表されています。診断されたときは、どのようなお気持ちでしたか。

(注:免疫バランスが崩れるために、涙や唾液を作る臓器を中心に炎症が生じる。そのため倦怠感などさまざまな症状が発症する)

 

ゆかさん:病名がわかるまでは、自分がだらしがないからなのかなって悩んでいました。だから、病名がわかってすごく安心しましたね。

 

シェーングレン症候群って、暖かい時期と寒い時期でまったく体調が変わるんです。寒い時期はめまいもするし、疲れやすい。おまけに手足に痺れも出てくるので、そういう不調が出てくると、メンタルにもよくない影響が出やすくて。気持ちが塞ぎがちになったり、普段なら悪い方向に考えないことをよくないふうにとらえてしまったり…。だから、すっかり冬が嫌いになってしまいました(苦笑)。フランスもようやく暖かくなってきたので、少しずつ体調もよくなってホッとしています。

 

西村ひろゆきさんと妻のゆかさん
「フランスに移住してワークライフバランスが整ってきたかも」と話すゆかさん

── どのように体調不良と向き合って過ごしていますか。

 

ゆかさん:近頃は執筆の仕事も増えてきて、徐々に自分のペースでできるようになってきたので、体調の影響が出にくい天気のいい日とか日中に仕事をすませるようにしています。逆に、寒くて天気がどんよりした日は、あきらめて仕事はしない(笑)。そうやって割りきれるようになったので、むしろ今はワークライフバランスが取れているかもしれません。

 

 

PROFILE 西村ゆかさん

1978年生まれ。東京都出身。インターキュー株式会社(現GMOインターネット株式会社)、ヤフー株式会社を経てWebディレクターとして独立。2015年よりフランス在住。著書に『だんな様はひろゆき』(朝日新聞出版)、『転んで起きて』(徳間書店)。X(@uekky)で日々の気づきを積極的に発信中。

 

取材・文/池守りぜね 画像提供/西村ゆか