「夢は叶わない」そう考えている子どもが増えている、と元フジテレビの笠井信輔さん(60)はいいます。たしかに多くが叶わないかもしれない。それでも、たった1つ行動を変えるだけでチャンスが生まれる、と笠井さんはいいます。(全5回中の5回)
「大学に行くよりも、テレビに出る方法を考えろ」
── 子どものころは、どんなお子さんでしたか?
笠井さん:人前で話をするのが大好きでした。授業中も率先して手を挙げて発表していたし、イベントがあれば司会を務めていました。小中学校では生徒会長を務め、小学校から放送委員会にずっと入っていました。
私が育ったのは、学校外のレクリエーション活動が盛んな地域。イベントも多く、何かあるたびに司会に立候補していました。
小学4年生のときに地元で開催された子ども祭りの司会をしたとき、すごくお客さんが盛り上がってくれたんです。「自分の話をこんなにたくさんの人が熱心に聞いて喜んでくれるんだ」と、本当に快感で嬉しかったです。
そのころから、「テレビ局に就職して、人前で話す仕事に就きたい」と思っていました。
── ずいぶん早い時期から具体的に将来の夢を持っていたんですね。
笠井さん:そうなんです。高校時代の文化祭でも、自分が司会をしたイベントが爆発的にウケて、教室に入りきらないくらいお客さんが来てくれました。
それで進路指導の際、担任の三澤先生に「テレビ局に入ってアナウンサーになりたい。だからマスコミに強い早稲田や東京六大学に行きたい」と伝えたところ、「笠井の成績ではムリだ。大学に行くよりも、テレビに出る方法を考えろ」と言われたんです。いま考えたらすごい指導ですよね(笑)。
三澤先生は日ごろから「夢を追いかけろ」と話す熱い先生でした。「私の話を真剣に聞いてくれて、アドバイスしてくれる大人がいるんだ」と嬉しかったです。現役のときは入試に落ちて1浪しましたが、猛勉強したおかげで早稲田大学に入学できました。
大学で浮かれた自分を戒めた恩師の言葉
── 大学入学後は、すぐにアナウンサーになるための勉強に取り組んだのでしょうか?
笠井さん:それが志望校に入学したら気が抜けてしまったんです。当初の「テレビ局に就職する」目標を忘れ、好きなことをするぞ!と。スキークラブに入って、楽しいキャンパスライフを送るつもりでした。
大学に入学した年のゴールデンウィークに、小学校時代の担任の先生のところへ大学合格の報告をかねて遊びに行ったんです。
「大学に入学して、いまどうしているの?」と聞かれたから「スキークラブに入りました。筋トレも頑張っています」と報告したら、「何やってるの?テレビ局でアナウンサーになりたくて大学に進学したんじゃないの?」と、叱られてしまいました。
「早稲田にはアナウンサーをたくさん輩出している放送研究会があるから、すぐに入りなさい」と言われ、スキー部クラブと放送研究会をかけもちしました。アルバイトもあったので忙しかったですが、放送研究会に入ったおかげで、新卒でフジテレビのアナウンサーとして内定をもらえました。
── 高校のときの先生も小学校の先生も、笠井さんの周囲にはアドバイスをしてくれる大人がたくさんいたのですね。
笠井さん:本当にそう思います。本来の目標を忘れかけると、誰かが軌道修正してくれました。それは子どものころから、まわりに大きな声で自分の夢を語っていたのが大きいのかもしれません。「アナウンサーになりたい」と言い続けたからこそ、たくさんの人がアドバイスをしてくれたし、応援してくれたんだと思います。
「夢を持ち続けること」は恥ずかしいことじゃない
── アナウンサーになるまでの過程のなかで、笠井さんが気づいたことはありますか?
笠井さん:「夢を持ち続け、周囲に話すこと」の大切さです。いま私は、小中学校でときどき「夢をあきらめない」という特別授業を行っています。そのときに気になるのが、子どもたちに将来の夢を聞いても、なかなか答えてくれないことです。
「どうして夢を教えてくれないの?」と聞くと、「叶わないと恥ずかしいから」という答えが。「夢を語って人から笑われたくない」と、幼いときから守りに入っている印象です。
でも、それってやっぱり違うと思っています。どうして私がアナウンサーになれたかというと、夢を持ち続け、周囲にそれを言い続けたからなんですよ。
── たしかに、「こんなことをしたい」と話す人のまわりには、協力してくれる人がたくさん集まりますね。
笠井さん:宇宙飛行士でも俳優でも警察官でも、その夢を誰かは叶えてるんです。その人たちはずっと、「その職業に就きたい」夢を持ち続けたから夢が叶った。何も考えず、ぼんやりとしたままで、何かを成し遂げたり、何者かになったりした人はいないはずなんです。
とはいえ、残念ながら「夢が叶わない人」のほうが多いのが現実でもあります。でも、夢を持ち、そのことを人に伝え続けることで、次の道が見えてきます。なぜかというと、「こうしたい」と伝えていると、アドバイスしてくれる人や手を差し伸べてくれる人が現れて、次のチャンスにつながるからです。
ひそかに夢を持っていても、誰にも言わなければ、周囲は何もできません。自分がどうしたいかを明確にし、積極的に話すことでチャンスが広がっていきます。このことを若い人たちに伝え続けていきたいですね。
私が高校3年生のとき、卒業アルバムの寄せ書きに「俺を忘れそうになったらテレビをつけてくれよ」と書きました。当時はみんなに笑われましたが、現在、クラス会などで当時のクラスメイトに会うと「あのとき書いてあったこと、本当になったね。いつもテレビで笠井のこと見ているよ」と言われます。
PROFILE 笠井信輔さん
かさいしんすけ。1987年 早稲田大学を卒業後、フジテレビのアナウンサーに。朝の情報番組「とくダネ!」を20年間担当後、2019年9月末日に33年勤めたフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとなるが2か月後に血液のがんである悪性リンパ種と判明。4か月半の入院、治療の結果「完全寛解」となる。現在、テレビ、ラジオ、講演、がん知識の普及活動など幅広く活動している。
取材・文/齋田 多恵 写真提供/笠井 信輔