「大人ってちゃんとしてないんだ!」と、当時を振り返る中嶋朋子さん。国民的ドラマ『北の国から』の出演は、小学3年生のときから。単身、北海道に向かった中嶋さんが見た大人の世界。子ども目線で見た大人たちの姿。秘蔵話が始まります。

「絶対行く!」小3ひとりで北海道の長期ロケへ

── 2歳で劇団ひまわりに所属し、1981年から21年間、ドラマ『北の国から』蛍役をつとめた中嶋さん。蛍役に抜擢された経緯をきかせてください。

 

中嶋さん:小学校2年生のころ『北の国から』のオーディションを受けました。オーディションは長期にわたり、何回も呼ばれました。

 

最初は女の子だけ自由に遊んだり、あとは私たちがずらーっと並んで、怖いおじさんたちに「おでこ見せて」って言われたのをすごく覚えています(笑)。2次、3次の段階で、邦さん(故・田中邦衛さん)や男の子と一緒になりました。

 

『北の国から』開始当時(小2)の中嶋朋子さん

── 東京在住の中嶋さん、北海道での長期ロケにどんな気持ちでのぞんだんでしょうか。

 

中嶋さん:1年3か月撮影してからの放送されるため、かなり長い間、北海道での撮影が予定されていました。

 

わが家は早い時期に両親が離婚して母ひとり子ひとりで、母は働いていたため、北海道での長期撮影に同行するのはムリだったんです。でも、「どうしても行きたい!」って、私が言ったので、母はどうしようかなと考えたようです。

 

── では、北海道での長期撮影はどなたと?

 

中嶋さん:制作の方と相談して、ひとりで行くことにしました。でも、吉岡秀隆くんのお母さまがつきそいで来ていて、同じ部屋で。

 

── お母さんから離れて、寂しくなかったですか?

 

中嶋さん:いえ、まったく寂しくありませんでした。『北の国から』に関しては私の中でも特別で、「絶対、北海度に行く」って思っていましたから。行ったら大変なこともありましたが、楽しいことがいっぱい。見たこともない感じたこともないことだらけでした。

 

── 撮影当時、中嶋さんは小学生でしたが、北海道での撮影と学校とのかねあいは?

 

中嶋さん:主に長期休みを使って撮影しましたが、春や秋は学校をお休みすることもありましたね。一番長い撮影では、ワンシーズン連続40日間。うーん、けっこう学校は休んだかな?

 

でも、まだ放映されていないので、みんな私が何をしているか知りませんでした。ちょっとお休みして、戻ってきたら北海道土産の「白い恋人」を配る子でした(笑)。

田中邦衛さんもスタッフも「子ども扱い」しなかった

── 北海道での冬、撮影は大変だったでしょうね。

 

中嶋さん:撮影は本当に過酷でした。大自然の中、とくに寒さが。いまみたいにいい防寒具もないし、使い捨てカイロがようやく出はじめたころでした。

 

当時は、ベンジンを注油する金属製のカイロを使っていました。撮影スタッフは南極観測隊みたいな、身動きのとれない格好をしていました。

 

私の役柄は少し貧しい家庭の設定だったので、薄着でないといけない。子どもなので元気だからいいんですけど、手足が冷えるのはどうにも…。常識が通じない寒さでした。

 

ちょっと汗かいたら凍っちゃうし、寒さは本当にどうにもならないです。原野や林の中に入る場面もあり、身体的にも大変でしたね。

 

── 苦労して撮影されたと思いますが、雪の中にとびこんだり、原野を走ったりというシーンは本当に美しく、印象に残っています。

 

中嶋さん:私たち子どもは「風景」としてとらえられていたので、晴れたときやキレイな雲が現れると、とりあえず走るシーンとして撮ってみて、後でどこかで使おうかな、という感じでした。

 

カメラが見えないくらい遠い離れた丘の上で待機して、横でスタッフさんがインカムで指示を受け、走り出すこともありました。

 

16歳で撮影した映画『四月怪談』(1988年公開)撮影の合間の中嶋さん

── お父さん役の故・田中邦衛さんとは、現場でも家族のような感じだったのですか?

 

中嶋さん:不思議ですが、"仕事仲間"という感じだったんです。本当に過酷な環境での撮影なので、大人もいっぱいいっぱいで、自分の許容範囲をこえた努力せざるを得ない状況でした。

 

大人ですら自分の知らないような驚きにあふれていて、子どもと同じ状況だったんじゃないかな。そんな環境で、小学生でも一緒に頑張っている仲間として扱ってくれたのがよかったです。

 

「子どもだから」とおだてられると違う感じになっていただろうし…もちろん、そういう場面もあったとは思いますが、そればかりでなかったので、自分も頑張ってると感じられて、とてもうれしかったです。

 

── 小学生でも、ひとりの人間として尊重してもらえたと。

 

中嶋さん:はい。とくに邦さんは、私たちとのコミュニケーションをどうとるか悩まれたとは思いますが、対等に接してくださいました。子どもながらにそれがわかったので、頑張りたい気持ちになりました。

過酷な大自然「大人たちのむき出しな姿」を目にして

── 何日も帰れず、大自然の中で撮影。現場はどんな雰囲気でしたか?

 

中嶋さん:撮影現場がハードなので、大人があからさまに疲弊していって、本当の姿がむきだしになっていくのを目にしたのは、いい経験になりました。

 

大人ってちゃんとしているものだと思っていたけど、全然、ちゃんとしてないんです(笑)。いきなりワーって喧嘩がはじまったり、すごく無邪気になったり。

 

そんななかでも、あたたかくて、つねにみんなのことを考えられる人もいました。人間観察ができたというか、あの体験は面白かったです。そんな過酷な中で、自分も一緒に闘っている意識を持っていました。

 

2021年に『北の国から』ゆかりの富良野を訪問した中嶋さん

── 小学生低学年にして、大人の意外な一面を見てしまったんですね(笑)。

 

中嶋さん:なんかね、洗濯物を40日間分ためて段ボールに詰めて、お母さんに送っている人がいたんです。

 

えっ、大人なのにお洗濯できないの?ってびっくりして、まわりも「おまえいい加減にしろよ」とか言うわけですよ(笑)。子どもたちに指導する立場の大人なのに…面白いですよね。

 

撮影の合間に、雪をかためて滑り台を作ってみんな遊んだりもしました。大人がそんなことするとは思ってもみないから、大人も子どものように無邪気なんだなーって発見になりました。

 

── 自然環境以外に大変だと感じたことは?

 

中嶋さん:設定上、難しいことを要求されたことかな。吉岡君は演技でも相当難しいことを求められて、それができる子だったのですが、私は小さいとき、わりとそのままを求められました。

 

でも、設定上、お母さんになかなか会えなくて、お父さんと別の絆があって…と言われてもなかなか理解できないんですよ。ほかには、ドラマはいろんなシーンをばらばらに撮影してあとで切り貼りして編集しますが、その間、ずっと同じ気持ちを保ち続けるのも難しかったですね。

 

PROFILE 中嶋朋子さん

東京都出身。2歳から劇団ひまわりに所属し、5歳の時にデビュー。ドラマ『北の国から』シリーズで、主人公の娘・蛍役。映画『つぐみ』ではブルーリボン賞助演女優賞を受賞する等、数々の映画・ドラマ・演劇作品で活躍。朗読劇にも力を入れており、この3月に本人プロデュース『カミサマノ本棚』を上演。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/中嶋朋子、砂岡事務所