元マラソン選手で五輪金メダリストの野口みずきさん。2016年の引退後は結婚して上海へ渡り、走ることをやめて専業主婦をしていた時期もあったのだとか。引退レース後に高橋尚子さんと交わした言葉や、現在の陸上界への思いなども語ってくれました。(全3回中の3回)
引退レースで高橋尚子に「ずっと憧れていました」
── 2016年に名古屋ウィメンズマラソンを完走して引退。ゴール後に高橋尚子さんに「ずっと憧れで追いかけていた」と明かして二人で涙していたのが印象的でした。その時の心境は?
野口さん:野球の大谷翔平選手が「(メジャーリーガーに)憧れるのはやめましょう」と言ったのが有名ですが、私も高橋選手にずっと憧れていたけど憧れで終わりたくなかったから言えなかったんです。引退するとなってやっと言えました。高橋尚子さんがそれまでマラソン界にもたらしてきた功績は本当にすごくて、後輩である私たちはみんな目標としてきましたし、何度もいろんな選手が高橋さんの残した結果に挑戦してきました。
2000年のシドニー五輪で日本の女子マラソン界で初の金メダルを獲得されたのはもちろん、世界で初めて2時間20分を切ったのも高橋さんですし、とにかく女子マラソン界においてとても大きな存在。北京五輪(2008年)の後くらいかな…そんな高橋さんから心配のメールをいただいてすごく嬉しかったのを覚えています。その後も他の大会の解説やゲストとして顔を合わせるうちに気さくに話しかけてくださって仲よくなりました。
私の引退前最後の大会の時も、合宿先からたまたま高橋さんのお宅が近かったので「遊びにおいでよ」と声をかけてもらい、一緒にお茶を飲みながらいろんな話をしました。そうやって何年も私の苦しい時期を見てきてくれた方なので、ラストランのゴール後に「お疲れさま」と温かく迎えてくださって感激しました。その時に「ずっと思っていたことをここで言わないと」と思って、憧れていたことを伝えたんです。
── 引退というのはいつ頃から意識を?
野口さん:2015年あたりですかね。思うような練習が全然できなくなってしまったんです。足が思うように動かず、左足が右足に追いつかないので、ギクシャクした走りになってしまっていました。ランナーによく起きる“ぬけぬけ病”(自分の意思とは関係ない動きが体に出る)のような症状ですね。ジョグの延長や遅めのペース走やインターバル走でさえも、昔と比べたらショックを受けるようなタイムでしか走れず、引退が頭をよぎりました。
今までは奇跡なんか信じてなくて、走った距離は裏切らないし努力しなくちゃ結果はついてこないと思っていたのが、どうにも調子が悪くなって急に神様はいるんじゃないかとか、奇跡が起こるんじゃないかとか思い始めている自分がいました。全然練習できていないのに、勝てるんじゃないかと思ったり。
でも結局、レース当日も5kmくらいまでは先頭で走るんですけど、ズルズル順位が落ちていって、20kmくらいでまた“ぬけぬけ病”のような、自分の意思とは関係ない足の動きを感じました。
そこで逆に「もういいや」って吹っ切れたんですね。気がつくと、一緒に走っている市民ランナーの皆さんが私を見つけて次々に「ありがとう!」と声をかけてくれたんです。沿道の皆さんも、金メダリストなのに先頭からものすごく離れた私をすごく応援してくれて。
また、バイクのサイドカーからずっと私のことを撮ってくれているカメラマンさんも泣き笑いしているような顔でした。私自身もいろんな感情がこみ上げて、半分泣いて半分笑っているような状態だったんですが、カメラマンさんも口角が上がりながら泣いているという同じような表情だったんです。周囲の皆さんが私の走りを後押ししてくれた感じがして…あれは何ともいえない光景でした。
走り終わるとタイムは2時間30分台。監督が「あんなタイムで走れるとは思わなかった」と言ったくらい練習ができていなかったので、そのタイムは皆さんの応援のおかげで出たと思っています。
引退後は上海で専業主婦を
── 引退後のプランはあったのですか?
野口さん:いや、全然なかったです。引退して3か月後に結婚を発表したのですが、実は夫はその1年前から上海に海外赴任していて。なので、私もすぐに上海へ行きました。引退した瞬間からいろんな事務所さんから声をかけてもらったのですが、全部お断りして海外へ行ったんです。
上海で暮らし始めてから半年くらいは、まったく走らない生活でした。上海にはさまざまな日本人コミュニティがあって、そこに夫婦で出かけて行ったり、とにかく人と出会えるのが楽しかったです。そこで出会った方が習い事に誘ってくださって、習い事をたくさん経験しました。中国語、韓国料理、イタリア料理、パンづくり、フラワーアレンジメント…時間がたりないくらいいろんな習い事に通っていました。陸上以外の方と知り合えるのが楽しくて、視野が広がりました。
ただ、それまで1日たりとも走らない日はなかったので、半年も走らないと体が重く感じてきました。元々お酒が好きなのもあり、上海でも飲んでいたのですが、だんだんお酒が体にたまるというか気持ち悪い感覚になってきたんです。
そこでやっぱり走りたくなって久しぶりにジョギングしてみたら、大量の汗が出てものすごく気分爽快でした。体の毒素が抜けてデトックスできたような清々しい気持ちになって、「やっぱり走るのって気持ちいいな」と思いました。
── 帰国後は解説の仕事やマラソン大会のゲストランナー、また現在は岩谷産業の陸上部アドバイザーを務めていらっしゃるんですね。
野口さん:はい。自分のペースで仕事や生活がしたいという気持ちがあるので、事務所には所属せず直接オファーをいただいたものから選ばせてもらっています。実は上海生活を経て、なんとなく専業主婦になるのかな、とも思っていたんですよ。でも全然違っていましたね。陸上やマラソンに関することがいろいろできるのはやっぱり楽しいし、今の生活も気に入っています。
── テレビのバラエティ番組出演で、ヒップホップや音楽好きの一面を披露されて意外性を感じた方も多かったようです。
野口さん:「意外だ」ってよく言われますけど、子どもの頃から音楽も映画もすごく好きだったし、イラストを書くのも好きだし、陸上だけじゃなくていろんなことに興味があって多趣味なんです。でも、ヒップホップを好きだというのも知ってもらいたいという気持ちがあったので、そこを面白がってくださってテレビ出演できたのはラッキーでした(笑)。
現役選手には「競技者として熱い思いを持ってほしい」
── 将来的に陸上界、マラソン界との関わりはどう続けていく予定ですか?
野口さん:自分のできる範囲で関わっていけたらと思っています。全精力をそこに注ぐのは今の生活では難しいので、時には主婦、時にはランニングアドバイザーといった形で自分がお手伝いできることはマイペースに取り組みたいです。
── 長年マラソン業界に身を置いてきて、ご自身の現役時代と比べて変化したことは何ですか?
野口さん:情報量が多いだけに、それがマイナスになってしまう部分もあると、見ていて思います。たとえばSNSで「今度マラソン大会に出ます」と上げたとして、応援してくれる方もいますが、結果次第でネガティブなことを書き込まれたりもしますし、そのマイナスな言葉に引きずられてさらにパフォーマンスが落ちることもあります。適度にうまく使えばSNSも便利なんですけどね。
日本新記録を出した前田穂南選手や、その大会でペースメーカーとして走っていた新谷仁美選手は、競技者としていい意味で強気な選手。でも全体的には、ちょっと目標がぼやけてしまっている選手が増えているような気がしています。何のためにこんなにつらい練習をしているのか、なぜ走るのか、といった目標がはっきり定められていないような…。そこは環境がよすぎるせいで、甘えている部分もあるんじゃないかな、と気になっています。もっと目標達成のために熱い思いで取り組んでほしいです。
PROFILE 野口みずきさん
のぐち・みずき。アテネ五輪(2004年)女子マラソン競技・金メダリスト。陸上競技は中学生時代からはじめ、社会人となってからは「ハーフマラソンの女王」として活躍。2002年にフルマラソンデビューとなる名古屋国際女子マラソンで初優勝し、2003年大阪国際女子マラソンで優勝。アテネ五輪を経て2005年ベルリンマラソンで当時の日本記録とアジア記録を更新した。2016年に現役引退後、結婚。現在は岩谷産業陸上部アドバイザー務めながら、マラソン大会の解説やゲストランナーとして各地を回っている。
取材・文/富田夏子 画像提供/野口みずき