アテネ五輪の金メダリストにして、女子マラソン前日本記録保持者の野口みずきさん。19年間誰にも破られなかった日本記録が今年1月、ついに更新されました。近くでレースを解説していた野口さんに、新記録誕生の瞬間の気持ちや、自身の記録更新時の話を聞きました。(全3回中の1回)

金メダルの上はないから日本記録を目指した

── 野口みずきさんが持っていた女子マラソンの日本記録は、19年間更新されることがなかったのですね。

 

野口さん:私が2005年にベルリンで日本記録を更新した時は、高橋尚子さんや渋井陽子さんといった強いライバルが周囲にいっぱいいたんです。まず日本国内で勝つことがオリンピックに出場することより難しいような激戦の時代でした。自分の力だけじゃなくて、そういったライバルや先人たちの思いが背中を押してくれたような気がしています。

 

── 2時間19分12秒というタイムでしたが、当時練習でもそのくらいの記録が出ていたのでしょうか?

 

野口さん:監督は「可能性はあるな」と感じていたと思います。私自身は、やってみないとわからないと思いながらも、日本新記録が出せるような練習を重ねてきていたので「何としても更新してやるぞ」という気持ちではいました。

 

2004年にアテネ五輪で金メダルを獲得した直後から次の目標を考えた時、金メダル以上のメダルはもうないので、じゃあ記録を狙おう、となりました。オリンピックで二連覇を目指すという選択もあったかもしれませんが、目標までのスパンが長すぎると感じました。私の前の日本記録保持者、渋井陽子さんが新記録を出したのが、アテネ五輪の直後(翌月)だったので、自然とターゲットにしやすかったというのもあります。

 

マラソンの解説に励む野口さん(中央)
マラソンの解説に励む野口さん(中央)

ペースメーカーを置き去りにしての新日本記録は文句のつけようがない

── 今回、第43回大阪国際女子マラソンで前田穂南選手が2時間19分の壁を破りました。18分台の記録が出る予感みたいなものはあったのですか?

 

野口さん:いや、それは想定してなかったです。記録が出るとしたら日本の大会ではなく、ペースメーカーが速い海外の大会だろうと思っていたので、まさか大阪で出るとは驚きました。しかも、ペースメーカーを置き去りにするというすごい走りで。

 

── 前田選手は二度給水を取り損ねていたので、見ている側はハラハラしました。

 

野口さん:給水が取れなかった影響はまったくなかったようです。後で本人からも、喉の渇きを感じないほどだったと聞きました。個人で用意しているスペシャルドリンクが取れなかったとしても、大会側が用意している給水所が5km間隔で設置されているから大丈夫でしょう、と解説でも言ったのですが、彼女はそれも取りませんでしたね。

 

大阪国際女子マラソンで新日本記録を出した前田穂南選手と
大阪国際女子マラソンで新日本記録を出した前田穂南選手と

── 野口さんは前田選手の走りを中継車から近くで見て、どう感じたのですか?

 

野口さん:前半はややキツそうだな、まだエンジンがかかっていないのかな、というふうに見えました。でも、本人に聞いたら「(前半は)きゅうくつだった」と言っていました。ペースメーカーがいるのに、縦にならずに横に広がるような隊列になっていたうえ、後ろにも選手がいたので、スペース的に狭かったようです。前田選手は一人でどんどん走れる方なので、目の前や真横、後ろに他の選手がいるとしんどいんでしょうね。

 

後半、21kmあたりからスパートをかけていましたが、あの時は体がけっこう動いていて「行けるんだったら行っちゃおう」という感じになったんだと思います。そこはもう、感覚的なものです。私もアテネ五輪で25km過ぎからロングスパートをかけた時は、監督からのアドバイスもありましたが、何となく体が動いた、という実感があるんです。それは給水のポイントだったせいもあるかもしれません。前田選手も20kmの給水の時に、他の選手が給水を取るためにちょっと離れたので、きゅうくつなのがイヤだったし、このまま行こう!と決めたんだと思います。

 

── 日本新記録が出た瞬間の率直な気持ちは?

 

野口さん:それはもう嬉しかったし、拍手!という感じでした。彼女の走りを見ていてワクワクしましたし、悔しいという感覚はまったくなかったです。しかも、誰も文句が言えない内容でしたしね。ペースメーカーを置いて飛び出し、自分でレースを支配しての新記録なので。

 

近年はシューズの進化もあり、世界的に見ればトップの記録は2時間11分台なんです。16分台、17分台、18分台もゴロゴロいますので、喜ばしいことではあるのですが、そこで満足してはいけない部分もあるのかな、と思います。ただ、今回の前田選手のように自分でレースを支配する姿勢というのは、世界で戦えるレベルに一歩も二歩も近づいたと思います。

マラソン解説の朝は元選手仲間とジョギング

── 解説の仕事にはどんな準備をして取り組んでいますか?

 

野口さん:私は事前に綿密な取材はあまりせず、目の前の選手のフォームや表情を見て解説するタイプ。選手の立場になって気持ちを考えたり、自分の経験からの言葉をお伝えするようにしています。ただ、マラソン大会となると数日前に記者会見があるので、早めに現地入りして選手や監督から話を聞くようにはしています。

 

回を重ねるごとに勉強になりますし、解説を始めた頃よりはしゃべれるようになったと思いますけど、毎回反省することも多いです。特に最初の頃はボキャブラリーが少なかったので、解説は下手だったと思います。解説以外にも各地のマラソン大会のゲストランナーに呼んでいただいたり、講演会など人前で話す機会も増えたので、話す力は少しずつ上がってきたのではないかと自分では思っています。

 

大阪国際女子マラソンの解説陣で朝ラン
大阪国際女子マラソンの解説陣で朝ラン

── 大阪国際女子マラソンは解説陣の豪華さも話題になりました。野口さんのほか、有森裕子さん、高橋尚子さん、千葉真子さん、渋井陽子さん、福士加代子さんと、「女子マラソン界のレジェンド」が集合して朝ランされたそうですが、皆さん、やはり朝走る習慣があるのですか?

 

野口さん:そうですね。みんな、ジョギング習慣はあると思います。私も一人だったとしても走ります。大阪の時は誰かが「朝走らない?」と言い出して、個人同士で連絡を取り合ったり現場で会った時にお誘いして…という感じで増えていきました。

 

── おしゃべりしながらのジョギングという感じですか?

 

野口さん:そうです。そのくらいのペースで。陸上の話もすれば、関係ない話もしますし。大阪では80分くらいみんなで朝ランしました。高橋尚子さんが学生時代を大阪で過ごされていて土地勘があるので、「じゃあ、ここから淀川まで行くよ!」とコースを決めてくれて。でも、先頭は何度も入れ替わって、フォーメーションを変えながら走りました。すれ違った人たちはびっくりしていました(笑)。

 

PROFILE 野口みずきさん

のぐち・みずき。アテネ五輪(2004年)女子マラソン競技・金メダリスト。陸上競技は中学生時代からはじめ、社会人となってからは「ハーフマラソンの女王」として活躍。2002年にフルマラソンデビューとなる名古屋国際女子マラソンで初優勝し、2003年大阪国際女子マラソンで優勝。アテネ五輪を経て2005年ベルリンマラソンで当時の日本記録とアジア記録を更新した。2016年に現役引退後、結婚。現在は岩谷産業陸上部アドバイザー務めながら、マラソン大会の解説やゲストランナーとして各地を回っている。

取材・文/富田夏子 画像提供/野口みずき